慶應義塾大学在学中に司法試験に合格し、1997年に慶應義塾大学法学部法律学科を卒業後、2年間の司法修習を経て、1999年に大原法律事務所に入所、弁護士登録を致しました。2004年に米国コーネル大学ロースクールを卒業後、2005年にはニューヨーク州にて弁護士登録し、2007年に神谷法律事務所を開業致しました。現在に至るまで株式会社日本デジタル研究所の監査役、株式会社パシフィックネット社外取締役、昭和化学工業株式会社社外取締役、慶應義塾大学大学院非常勤講師等を歴任しております。
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正直、弁護士という仕事にものすごい興味があったわけではなかった。慶應義塾幼稚舎(小学校)のときから同じ学校にテニスのライバルがいて、高校3年のときに決定的な差が開いてしまい、テニスへの熱意を失ってしまった。彼が大学日本一を目指していたので、第二の人生として日本で最難関の試験に大学3年生で受かることで負けを消そうとした。いざやってみたら弁護士という仕事は自分に向いていたと思う。
依頼者には大体二つから三つ程度の選択肢があるけど、常に意識していることはお客様がその時満足することではなく、5年から10年経ったときにあの選択をしてよかったと思ってもらえるアドバイスをすること。
最初に腹をくくったのは大学3年生の夏。3年時の司法試験で落ち、とんでもない世界に入ってしまったという絶望感・後悔・屈辱からやる気を失い、毎晩テレビゲームとアダルトビデオを見る生活をしていたある日、書店でテニス雑誌を立ち読みしていたら、ライバルがインカレで準優勝する記事を読んだ。来年全国優勝する可能性が高いライバルに比べて、何も結果が出ていない自分の姿があまりにも情けなく、一度負けたくらいで落ち込んでいる自分に無性に腹が立ち、人間らしい生活を捨てる覚悟ができた。
人間勝ち続けて亡くなる人もいるかもしれないけど、カッコイイとは思わない。負けを負けのまま終わらせない、ただでは転ばない、負けているときも活路を見出す男になりたい。
これまでは自分の代で法律事務所は終えようと思っていたので、こじんまりやっていこうかと思っていたけど、最近息子が弁護士の仕事に興味を持ち始めたので、ちょっと頑張ってみようかなぁと思い始めた。私がアソシエイト時代にお世話になった大原法律事務所も3代かけて立派な法律事務所になりました。初代としてその礎を作って弁護士人生を全うできたら幸せ。
負けを負けのまま終わらせない。第一希望に受からなかった、大会やコンクールで負けた、就職活動がうまくいかなかった…負けることばかりだと思うけど、負けを負けのまま終わらせることが本当の負け犬人生で、今ある環境で何ができるか、次の勝負の時にこの負けをどう活かすか、この負けを見方を変えて捉えられるか、この辺が大切だと思う。振り返ってみれば、司法試験も1回目で負けて腹をくくり、就活も英語ができなくて第一希望に落ち、その後の留学につなげ、留学先でもNY州司法試験前の小テストで日本人一人だけ落ちて、その後のNY州司法試験合格につなげた。
私の祖父が祖母に買った結婚指輪を、祖母が亡くなったときに形見として貰いました。私が指輪をすることはできないので、熊のピンバッチに変え、遊びに行くときにつけています。このピンバッジをするたびに今の自分がいるのはご先祖様のおかげだと感じることができるので。
小学生のころに会社を経営していた叔父がモンブランのペンをくれたときから、モンブランを愛用しています。学校では目立つので使えませんでしたが、司法修習生から現在に至るまで、変えたことはありません。きっと叔父は社長としてサインをするときにいつもモンブランを使っていたのだと思います。お客様の前でモンブランを使うと叔父を思い出すと共に、法律事務所の代表として凛とした姿勢でいようと身が引き締まる思いがします。