コペルニク創設前は、東ティモール、インドネシア、シエラレオネ、アメリカ、スイスを拠点とし、主に国連開発計画で働く。 ガバナンス改革、平和構築、自然災害後の復興(スマトラ沖地震など)、国連改革などに従事。前職はマッキンゼー東京支社で経営コンサルタント。 京都大学法学部卒業。 英国ロンドン経済政治学院(LSE)で比較政治学修士号取得。大阪大学大学院国際公共政策研究科招へい准教授。2012年、世界経済会議(ダボス会議)のヤング・グローバル・リーダーに選出された。
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小学校を卒業するまで、父の仕事の関係で広島県、茨城県 京都府、大阪府など7か所を転々としてたことを覚えています。自由な校風の高槻中学・高校時代はでは、バンドでギターばかり弾いていました。大学では体育会のラクロス部に所属し、朝練の後、学食で昼ご飯を食べた後は家で昼寝をという毎日を過ごしていました。
私が高校・大学の時は、冷戦が終わった直後で、平和が訪れるかと思いきや、国内紛争が勃発した時代でした。新聞で、国連の活動が取り上げれれるのを読んでいる中で、こういった仕事を自分もしてみたいと思うようになりました。国連では、独立直後の東ティモールや、津波直後のインドネシア、紛争後のシエラレオネなどといった、国連の支援が最も必要とされているような国を選んで仕事をしていました。一方で、発展途上国で生活している普通の人々の生活をどの様に向上させることができるか、伝統的援助の世界の外にあるヒト・モノ・カネをどのように最大限活用できるかを考え始めました。そこからテクノロジーをラストマイルに届けるというコペルニクのアイデアが生まれ、国連在職の2009年にコペルニクを共同創設し今に至ります。
覚悟というほどではありませんが、やはりずっと憧れて入った国連での仕事を辞め、コペルニクに専念すると決めたときでしょうか。西アフリカのシエラレオネという国で仕事をしていた時、仕事場と家の間でいつも出会う「ママジー」というおばちゃんがいました。彼女はいつも大きな岩を小さなトンカチで砕くという仕事をしていました。他人の家の部屋を間借りし、収入もほとんどなく、飛び散る石でいつもどこかをけがしていた彼女のような、途上国の普通の人々の生活を向上させるやり方はないものかを考え始めたのがコペルニク創設というターニングポイントにつながったと思います。
現状には満足せず、継続的に良い方法を探しながら、団体のインパクトをさらに向上させることです。現在、農業分野でのテクノロジーを多くテストしており、今後は農業分野での支援を通じて、多くの貧困層の方々の生活向上を図っていこうと思っています。
フットワークを軽く、色々なことに挑戦してみてください。動くことで、多くのことを学び、多くのことが進み始めます。
ここ数年、健康にさらに気を遣うようになり、今年からは活動量測量計をつけて、一日にどれだけ動いたか、どれほどの睡眠をとれたかを計測し、生活のリズムを整えています。
年の半分は出張に出ており、体調を整えるためにも、必ずランニングシューズを持っていきます。このシューズは非常に軽く、小さくまとまるので、荷物を最小限に抑えたい出張時には特に重宝します。