私のカクゴ

ダンスアーティスト ケントモリ
けんともり

ケントモリ

愛知県生まれA型
職業:ダンスアーティスト
趣味:仕事
座右の銘:Everything happen for a reason.

2006年、単身渡米。2007年、プロダンサーとしてエージェント契約を果たし、本格的に活動を始める。2008年 アーティストビザを取得し、NBAハーフタイムショーでのパフォーマンス、 マドンナのワールドツアーダンサーに抜擢され世界中を周る。2009年、マイケル・ジャクソンの専属ダンサーに選ばれ、2年契約を交わすもマドンナとの契約中のためそれを断念。マドンナのワールドツアーにて、マイケル・ジャクソン本人に扮して会場を沸かせた。日本人男性ヒップホップダンサーとして初めて永住権(グリーンカード)を取得。2010年 現在クリス・ブラウンの専属ダンサーを務める。これまでにニーヨ、チャカカーン、トニー・ブラクストンなどの世界のトップアーティストのダンサーも務めながら、日本でも活躍中。これまで全世界37か国100以上の主要都市においてパフォーマンスを行う。

オフィシャルサイト

来歴

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幼少~学生時代

幼いころからお笑いが大好きでしたね。人のことを笑わせるのももちろんですが、自分もその中心で楽しんでいたいという気持ちが強くありました。

ダンサーの道へ進んだきっかけ

思い出してみると、私が最初に音楽と向き合った時、そこにいたのがマイケル・ジャクソンでした。自分で初めてCDを買って、実際に再生してみたときに体に衝撃が走ったことを今でも覚えています。「Billie Jean」、この曲を聴いた瞬間に私の人生は変わりました。その曲を聴いただけで、自然に体が動き出して、じっとしていられない自分に気が付きました。

ターニングポイント

中学1年生の時にマイケルに出会ってから、彼に魅了され続けた私はある目標を立てました。それは想像しうる中で設定した最高の目標で、「マイケル・ジャクソンと競演をする」ということでした。自分を知ってもらうなどというレベルではなく、マイケルとステージで競演するという目標、これが私をもっとも突き動かした原動力でした。それから19歳の時に単身渡米をしました。それからの生活の中で苦しいと思った出来事はありません。私のスタイルとして、オーディションを片っ端から受けていくようなことはしませんでしたし、常に自分が思う何かにチャレンジしていたいという気持ちが真っ先にありました。渡米から2年、マドンナのワールドツアー「Sticky&Sweet Tour」のオーディションに合格しました。この結果は「どこかで見たことのあるダンサー・ケントモリ」ではなく、「ケントモリという人間の証明」をより確固たるものにした出来事でした。

覚悟の瞬間

「THIS IS IT」のオーディションを辞退して、その後、マイケルが他界しました。その時にマドンナがかけてくれた「ケント、あなたにマイケルを踊ってほしい」という言葉をきっかけに私は忘れられない経験をすることになります。マドンナのコンサートで、マイケルの追悼ダンスを私は踊り、それは全世界へと配信されました。その空間は想像をはるかに超えていて、ある意味幻想的な瞬間でした。人々を感動させるという言葉では足りないくらい、それだけでは収まらない程の絶叫がそこにはありました。「これが、マイケルが見ていた・感じていた世界なんだ」と、まさに叫ぶように自分自身も踊っていました。

今後の目標

結局根本を辿れば、すべてが「想い」につながります。人種、国籍、年齢、文化・・・。これが違っていても、人間であることは変わりません。それは世界中変わらないことで、その変わらない世界の中で私が心に決めたことは「自分が決めたことに対しては死んでも言い訳をしない」ということです。自分で決めたことについては、本当に命をかけて戦ってきたつもりですし、これからもそうしていくつもりです。

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お気に入り

ハット

パフォーマンスの時にいつも身につけているハットです。いろいろな種類のものを持っていますが、このハットが特にお気に入りです。でも、日本では最近、プライベートで被りづらくなってますね・・・。

リング

敬愛する故Tokona-Xの名入りのリングです。同じく愛知県出身で、日本が世界に誇る今は亡き偉大なラッパーです。