松蔭高等学校を経て日本体育大学に入学。2年生時の1997年から3年連続で全日本学生スカッシュ選手権大会の団体戦で優勝し、1999年には個人優勝も果たす。2001年、2004年、2007年、2008年の全日本スカッシュ選手権大会で優勝。アジアおよび世界スカッシュ選手権大会の日本代表として国外のトッププレイヤーとも対戦している。
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小さいころから学校後は毎日いろんなお稽古ごとをしていました(公文式、塾、習字、エレクトーン、絵、スポーツクラブ、バレーボール、テニス)。親に勧められたことがきっかけですが、まったく苦になることがなくて毎日が楽しく充実していたと思います。その中で友だちと遊ぶ時間も少しずつ作って遊んでもいました。小学校2年生から中学、高校とバレーボールで青春を送っていました。高校では本格的にバレー1本で、生活の中心がバレーでした。
日本体育大学に進み、あまり身長も高くなかったのでバレーを大学まで続けるのは難しいと思い、趣味程度でやっていた「テニス」をやろうとしました。しかし、一流選手の集まる大学でテニスをやるのも厳しく、「テニスサークル」に入ろうとしましたが、サークルは「人数が多くてあまり練習もできない。」と言われたため入りませんでした。その時に、たまたま部活・サークル活動の冊子を見て「スカッシュ」に出会いました。それまでは実はスカッシュというスポーツも知らなかったのです・・・。
大学に入ったのは「体育教師」になるためでした。しかし、卒業する時には「日本一のスカッシュプレーヤー」に夢が変わり、就職活動もしませんでした。ただ、「日本一になりたい、強くなりたい。」と考えていました。そのきっかけになったのは、スカッシュを始めて、自分自身が変わったことです。「自己表現」ができるようになり、心の芯から笑えるようになりました。スカッシュは個人スポーツで、自分が頑張れば頑張った分だけ返ってきます。もちろん、悔しい思いをするのも自分自身。すべて「自分次第」です。その道を作ってくれたのは、恩師である「山崎さん」です。大学のOBでスカッシュのコーチ業をしている山崎さんとの出会いが今の自分のきっかけを作ってくれました。スカッシュを始めて6年間は、恩師のもとでスカッシュに打ち込みました。その後、山崎さんと同期である元全日本チャンピオンの「渡邊さん」のもとで練習に励んでいます。周りの方に支えられて今現在もスカッシュを通じて出会いを感じています。
大学4年の時に、一般就職するかスカッシュに進むかを迷った時期がありました。当時、周りの友だちはみんな就職活動をする中、私は1人で毎日練習していました。一般のオープン大会でもやっと結果が出てきて、スカッシュも上り調子だったのですが、先が見えない世界に踏み込めるのか不安で、よくコーチにも相談していました。そんなときに親から言われた「好きなことをやりなさい」という言葉が私の背中を押してくれました。この言葉のおかげで自分が変われて、スカッシュにかけてみようと決断することができました。プロになって、メディアなどにも取り上げられたり、スポンサーがついてくださったりと過去のプレーヤーにはなかったスタイルだったので、その道をどうやって切り開いていけばいいのか分かりませんでした。今できることを自分なりの伝え方でやっていこうと思うようになりました。また人との出会いや接点を大事にしていくことにより、次の世代にもつながっていくのではないかと思っています。
全日本チャンピオンに返り咲くことです。そして、スカッシュというスポーツをもっといろんな人たちに興味を持ってもらって、身近なスポーツになるためにできる限りのことをしていきたいです。そのためにもスカッシュがオリンピック種目になってほしいですね。指導をする中でスカッシュの楽しさを自分が教えて、周りの方たちには人生の勉強をさせてもらっています。
活性酸素除去、疲労回復、お肌の調子も整えるなど効果抜群です。毎朝晩1本ずつ、筋トレ中は4~5本飲んでいます。とても飲みやすくやわらかい、飲みすぎでも胃に溜まっている感じがしないところが気に入っています。
すべて母親の手作りで、練習や試合の時には必ずつけています。勝負色は黒です!