東京大学経済学部卒業後リクルート入社。東京営業統括部長、新規事業担当部長などを歴任。93年からヨーロッパ駐在、96年から同社フェロー。03年4月から杉並区立和田中学校校長に、都内では義務教育初の民間人校長として就任。キャリア教育の本質を問う[よのなか]科が『ベネッセ賞』、新しい地域活性化手段として「和田中地域本部」が『博報賞』、給食や農業体験を核とした和田中の「食育」と「読書活動」が『文部科学大臣賞』をダブル受賞し一挙に四冠に。「私立を超えた公立校」を標榜して「45分週32コマ授業」を実践。「地域本部」という保護者と地域ボランティアによる学校支援組織を学内に立ち上げ、英検協会と提携した「英語アドベンチャーコース」や進学塾と連携した夜間塾「夜スペ」に取り組み話題に。
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日本の教育を革新的に、開かれたものにするためです。37歳でロンドンとパリで暮らす中で成熟社会とは何かを考えたときに、「介護」「住宅」「教育」の三つが変わらないと成熟社会にならないと気付きました。その中でも自分がレバレッジをかけられるのは「教育」だと思い、校長に就任し自分が実践してみて「校長がかわると学校がかわるのか」、ここをきっかけに今の教育改革実践家として活動しています。
閉ざされたものを開くことを大切にしています。開くことによって正解主義の教育ではなく変わったことも認められて、いろんなチャレンジが許容されて、どんどんフロンティアに出て行ったらいいなと思います。
和田中学では校長室をオープンにしました。コンピュータを分解できるようなセットを置いておくと、ある新入生が自動車を分解したいと言ってきました。断ろうと思い、企画書書いてきてと告げるとなんと翌日持ってきました。その学生は東工大に進学し、てっきりロボットのエンジニアになるのかと思いきや、現在アニメ映画監督を目指しています。この体験が一つのきっかけとなりました。
覚悟というとすごく勇気のいる決断って意味にとらえる方多いと思うんですが、僕の場合は少し違って「無謀さ」が出るときなんです。これはタイミングだ!と思えば1歩先に出る。そういう勇気じゃなくて「無謀」さが必要だと思います。無謀なことをしていると自分にとって不利な勝負になるんですが、そうすると友達が救ってくれる、楽しんでくれる。そういうことをあえて覚悟というよりかは無謀にも選んで生きている。そういう感じですね。
技術を伴わない夢は妄想に過ぎないですし、逆に技術が蓄積していくと夢の方から声がかかる。その中でも「遊び」、面白くないとやりません。戦略性と遊びがあるものはどんどん形にしていきたいと思います。また実は母方が狩野家という画家の家系ですので、狩野家15代という意識もあります。75歳ぐらいから絵を勉強して、死ぬときに「絵師」として死ぬっていうのもかっこいいんじゃないかなと思っています。
セイコーで開発・販売・デザインを40年経験し独立した時計OEMのプロに特注で作ってもらい現在7代目です。
僕はテニスをするんですが布だと雨に濡れてしまうし、パソコンを入れたときに衝撃に耐えられない。そういうのが無いので結婚式カタログのリンベルとこれも特注で作りました。