早稲田大学在学中23歳からクライミングを始める。2003年には「Asian X-games」で優勝。競技歴3年にしてアジアチャンピオンになった。その後数々の世界の大会に参戦し、現在は高難度の岩に挑戦中。08年4月には日本人女性初となる難度V12を達成。世界のトップと肩を並べる。
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小学校から毛利衛さんや向井千秋さんに憧れ、宇宙飛行士という夢を持ち、宇宙の勉強ばかりしていました。見るTVもNHKスペシャル、雑誌はニュートン。負けず嫌いな性格で、「努力しないと1番になれない」と小さいころから考えていました。宇宙飛行士になるために、天文学科のある東京大学を受けたものの2度失敗。努力しても叶わないことがあることを知りました。
子供のころ、宇宙に近づきたくて富士山に登りました。大変な思いをして頂上まで行って、満天の星空を見たときに宇宙飛行士の気持ちとリンクし、感動しました。大学では山岳部に入ることを決めました。山岳部に入ると、海外の山にはロッククライミングのような難しいパートがあるため練習することになりました。そこでロッククライミングの国体選手の空きが出て、急きょ試合に出ることになりました。数日の厳しい練習で、試合が終わったら辞めるつもりが、準優勝し、努力が報われることを知りました。そこからクライミングが好きになり、続けることにしました。
急きょ国体に出ることになったときの練習が厳しく、試合が終わったら辞めようと思っていました。しかし、努力が報われ準優勝しました。そのとき、先輩から言われた言葉が「あなたはクライミング界を背負って立つ人になる。」そこからクライミングを続けることにしました。その3年後、Asian X-gamesで優勝しました。本格的にクライミング界で生きることを決意しました。
大学卒業後、アルバイトをしながらクライミングをしていました。しかし、夢はクライミング一本で生活すること、ワールドカップで優勝すること。そうするとアルバイトはいらないものだと覚悟を決めて、アルバイトを辞めました。クライミング一本にしぼると、不思議なもので仕事は増え、試合に勝てるようになってきました。そして、30歳までに日本女子初めての難易度の高い岩に登ると宣言し、29歳最後の日に目標を達成することができました。
ロッククライミングというスポーツを世の中に広げること。特に子供たちには、登る楽しさを教えたいと思っています。ロッククライミングは危険なイメージがあるけれど、そのことも踏まえて伝えていきたいと思っております。
古くなると使えなくなるので、よく買い替えます。MADROCKというブランドのもの。底部分のゴム面が良いところが特徴。F1タイヤと同素材のものを使用しています。
練習中に髪を束ねるのに使っています。5年前から集め出し、つい買ってしまうアイテム。気分によって決めています。金のリボンゴムは大切な場面で使用します。