ミス栃木、モデル、女優、レースクイーン、銀座のクラブホステスなどを経て、1997年「小説新潮」 の「読者による『性の小説』」に入選。以後「小説現代」「小説すばる」などに作品を発表し、1998年『熱帯植物園』(新潮社)、『血い花(あかいはな)』(集英社)、1999年『piss』(講談社)を刊行。最近では活動の幅を広げて、テレビ・ラジオでコメンテーター、シンポジウムでパネリストとして活躍中。
1 | 2 | 3 | 4 |
結論として、学生は自分にとても向いていない身分だったと振り返って思います。「同じ時間に起きて、朝早くから同じ所へ通う」という行為を毎日繰り返すことに辟易していたので、大人になったらそういうことをしなくても済むようにしたいと思っていました。不器用だったので、一つひとつ意味が分かってする行動でないと気が済まないところがありまして・・・。そういった意味では、学生時代は私にとって「暗黒の時代」だったと言えるのかもしれませんね(笑)
父の会社が倒産したことがきっかけで上京することになり、社会人になった時はごく普通の一般企業に就職しました。いわゆる「OL」生活。ただ、仕事が自分に向いていなかったのか、会社の業績が傾いた時にアルバイトよりも先にリストラにあってしまったんですね(笑)その後、朝はコンビニ、昼はファミリーレストラン、夜はホステス、土日はレースクイーンをして働いていた時期がありました。1年間このような生活を続けていた時に過労で倒れてしまったのです。その時に自分の働き方を改め、ホステス一本に絞ることにしました。
家の中でたくさんの本があるという環境で育っていたので、ジャンルは問わずいろいろな本を読んで育ちました。祖父が雑誌『ほととぎす』に寄稿をしているような俳人だったこともあり、父も作家を志願していました。ですので、私にとって「作家」という職業はごく自然な存在として自分になじんでいきました。たまたま買った応募雑誌を見ながら、一番短い賞に応募することに。この賞に当選したことがきっかけで、私の作家としての人生が始まりました。途中まではホステスと並行して働いていたのですが、お店が閉店したのと同時にホステスも辞めることにしました。
やはり息子を産んだことは私にとって大きな出来事でしたね。それまで何にも頓着することなく、こだわりを持つことなく歩いてきたわけですが、息子だけにはどうしても強いこだわりを持つようになってしまいました。それが私にとって生きがいでもあるし、弱点となっているのかもしれません。
「佑月」をイメージして作ったオリジナルの指輪です。星は息子を意味しています。とても気に入っています。
息子の名前入りで作った指輪です。半月くらいをかけて、オーダーメイドで作っていただきました。