私のカクゴ

チアリーダー 柳下容子
やぎしたようこ

柳下容子

山梨県生まれA型
職業:チアリーダー
趣味:書道
座右の銘:夢を駆け抜ける

短期大学卒業後はオリエンタルランド(東京ディズニーランドの関連会社)に2年間勤務した後、ロサンゼルスで3ヵ月間ジャズダンスを学ぶ。2001年、アルビレックスチアリーダーズの初代メンバーとなる。チーム内では2年間にわたりリーダーとして活躍した。その後NFLサンディエゴ・チャージャーズのチアリーダーを初めとする各国のチアリーダーのメンバーとして活動。2008年シーズンからはパフォーマンス・アドバイザーとしても活動し、後進の育成に力を入れている。現在は自身が代表を務めるダンススタジオ「STUDIO CANDLE」を新潟市東区に開設。

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来歴

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幼少~学生時代

お腹の中に居るときは男の子だったと言われたほど、活発なオテンバ娘でした。毎日、外でローラースケート・スノーボードをやって男の子と一緒になって遊んでいました。体育はいつも5でした。 運動の一方で、小1~中3まで習っていた書道にも熱中することで、達成感と集中力を身につけました。

ダンスを始めたきっかけ

頑張っている人を応援することがとにかく好きで、小学校4年生から高校3年生までは応援団に所属しました。そこでは、踊りを勉強したり、音楽を選び、応援に取り入れていました。 本格的にダンスと出会ったのは、短大時代で、カラダを使って表現する魅力にのめり込んでいきました。その後、テーマパークで勤務することとなりました。

ターニングポイント

25歳、アメリカから帰ってきて、自分の好きなことを全力でやっていていいのかなと悩んでいた時に、母から1枚のFAXが流れてきました。アルビレックスの募集要項でした。オーディションを受け、通った時、「やった、うれしい」から使命へと変わりました。当時のディレクターが「柳下さん、あなたが必要です。新潟を一緒に盛り上げていってください」と言って下さりました。 まるで魔法がかかったかのようでした。そこからプロとしてのチアリーダー人生がスタートしました。

覚悟の瞬間

チアリーディングと出会ったときと、そしてケガをしたとき。 これまでカラダで表現するという自分の好きなことだけに注力して突き進んできましたが、ケガをしたときに初めて、「ケガをしたからこそ私には何ができるのか?」とユニフォームを脱いだ次の世界を真剣に考えるようになりました。そして、苦しい時にこそ笑うというプロチアリーダーの真髄がわかりました。

今後の目標

子供たちに「夢を駆け抜ける」パワーを伝えたい。 今、スタジオの子供たちと一緒に走っていく中、時には壁にぶつかったり、勝ったり負けたりと様々経験することになりますが、支えたり、指導したりと一緒に人生を駆け抜けたいと思っています。

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埼玉医科大学国際医療センター心臓血管外科 教授 新浪博士

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お気に入り

スーツケース

5年ぐらい使用していて、どこへ行くにも一緒です。一度、壊れましたが愛着もあり修理して使用しています。このバッグのお陰で良い物を長く使う、という考え方になりました。

DVD

老若男女問わず、全身をくまなくエクササイズできるようなDVDです。出演はレスリング選手として有名な美人姉妹、山本美憂さん、聖子さん。私は構成、振り付けとコーチングを担当しました。