オーストラリア・西オーストラリア州パース市で出生したのち、7歳のころはシンガポールに、8~9歳のころは中国返還前の香港と日本国外で暮らす。学習院女子中等科・高等科を経て学習院大学法学部政治学科卒業。1995年TBS入社。1999年第36回ギャラクシーDJパーソナリティー賞受賞、2010年よりフリーランスに。
1 | 2 | 3 | 4 |
柱の陰に隠れて泣くような非常に人見知りな子どもでした。それを見かねた母はいつも私に「人よりも前に出なさい」と常に言っていて、それが我が家の教育方針にもなっていましたね。テレビの持つ情報のパワーに憧れを持ち、それに関わる仕事がしたいと思うようになりました。自分ができる仕事は何かと考えた末に見つけた目標が「女子アナウンサー」だったのですね。
1995年4月にアナウンサーとしてTBSに入局しました。社会人になりたての私は、正直非常識だったのだと思います。仕事は『自己実現』の場であると認識していたのですが、そうでないことに気がつくのに時間がかかりました。組織の中で働くことの実情や苦労を知らなかったのですね。そこで、「求められたこと」をクリアしながら、自分の「やりたいこと」をそこに少しだけ盛り込むという工夫を一生懸命するようになりました。
「局アナであることのデメリット」に気付いた時に、TBSを辞めることを決めました。自分の中では違和感のない選択でしたね。放送が何かを伝えてくれることによって、自分自身が励まされるという経験をしていたので、自分もそういう存在になりたいと思っての決断でした。
「今は未来への通過点」と思い続けたら、いつまでも未来には到達できないと思います。私たちは今しか生きていませんし・・・。今、自分にできるものは何なのかということを常に考えながら、できることをしていこうと心がけています。きっと後々振り返った時に、「私の夢って、こういうことだったんだ」と気付く時が来るでしょう。その夢のかけらを今は集めている途中ですね。
仕事帰りに食材を買ったり、大量の資料を持ち帰る場合に欠かせないアイテムです。食材の場合は1つでは足りないので必ず2つ持ち歩いています。
愛用のパンダ印ののど飴。ちょうどいいチョコレートの小袋があったのでたくさん入れて持ち歩いています。