私のカクゴ

元力士・キャスター 舞の海秀平
まいのうみしゅうへい

舞の海秀平

青森県生まれB型
職業:元力士・キャスター
趣味:旅行・ゴルフ
座右の銘:受けて忘れず、施して語らず

日本大学卒業。高校教師の内定が決まっていたにもかかわらず、周囲の反対を押し切って夢であった大相撲入りを決意。「猫だまし」、「八艘飛び」などファンを驚かせる数々の技をくりだし、「技のデパート」の異名をとる。現在はNHK大相撲解説者などをつとめるほか、テレビ・スポーツキャスターとして幅広く活躍中。最高位:小結・三賞:技能賞5回受賞・生涯通産成績:385勝418敗27休 幕内通産成績:241勝287敗12休・得意技:左四つ・下手投げ

来歴

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幼少~学生時代

やんちゃな子供でした。勉強嫌いで相撲と野球が大好きでした。 小学生の頃は相撲より野球のほうが好きで、王選手が大好きでした。中学校に入り本格的に相撲部に入部したのですが、どんどん周りの体が大きくなり勝てなくなっていきました。『相撲は、向いていないかな』と思い始めるのですが、顧問の先生が辞めさせてくれませんでした。きっと続けることの大切さを教えてくれていたのだと思います。 高校入ってからは人生で一番の地獄でした。毎日疲れきった体でそのまま倒れるように寝る生活でした。負けることが悔しくて頑張っていたら、いつの間にかメキメキと強くなっていきました。そして3年生の最後の全国大会で準優勝した時は嬉しくて仕方がありませんでした。当時65kgくらいの体で周りは、100kgを超えているのですから。苦しいことを積み重ねる大切さを感じた瞬間でした。

相撲を始めたきっかけ

青森県鯵ヶ沢町の出身なのですが、神社の境内や小学校の校庭には土俵があるほど相撲が盛んな場所でした。父親も相撲が好きで一緒にテレビで相撲を見ては、翌日に学校の休み時間や放課後に再現していました。小学校の校内相撲大会では常に優勝しており、体格は、小さいほうでしたが強かったと思います。当時から左下手投げが得意でした。『大きくなったら相撲取りになるんだ。』という事を漠然と思っていました。

印象に残っているエピソード

大学3年生の話です。大学3年生でレギュラーになるのですが、団体戦で勝てないとレギュラーには定着できないという決まりがありました。僕は団体戦で5回くらい負け、優勝を5回逃した時にレギュラーを外されました。 そこから稽古しても意味がないと思い、アルバイトを始めました。しかし、『このままでいいのかな?』 『一生後悔するんじゃないのか?』と色々悩んだ結果、『レギュラーに復帰できなくてもレギュラーよりも強くなろう!』と思い、死に物狂いで稽古に取り組みました。日大では年末に帰省せずに相撲部屋で稽古をするのですが、監督も稽古に取り組む僕の姿を見てくれていたのだと思います。監督に『お前も年末帰省せずに残って稽古しろ。』と言って頂きました。あの時は本当に嬉しかったです。

覚悟の瞬間

僕は力士になることを全く考えていませんでした。教師になる予定でした。 大学4年生の1月、後輩が急死しました。葬式の時に彼のお父さんが『相撲できなくてもいい。ただ生きてくれているだけで良かった。』とポツリと呟いたのです。その時に人間の命に限りがあることを痛感しました。それまで力士になることを考えていなかったのですが、『本当に自分がやりたいことは何か?』と考えた時に教師は、2番でした。1番にやりたいと思った事は「相撲」でした。そこで力士になることを決意しました。

今後の目標

現在1年を通して解説のお仕事がメインですので解説の勉強をしていきたいと思っております。『まだまだ伝えられることがあるのではないか。』と思っています。今は余裕が無いですが、将来は、指導者になりたいです。中学生や高校生・大学生に相撲を教えていければ幸せです。

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お気に入り

かばん

いつもフルオーダーやセミオーダーで作ってもらっています。取っ手や素材・大きさなど多くの種類を持っています。いつも持ち歩く鞄なので使いやすさやデザインにはこだわっていたいです。

プロポリス

1年ほど前から、毎食後3滴ずつ飲んでいます。原液で飲むのですが、免疫力を高めるのに効果的だそうです。健康な体づくりをいつも心がけています。