4歳より母と姉の影響で卓球を始める。数々の大会で好成績を残す。2001年4月、大学卒業後プロに転向。2004年4月、中国超級リーグに参戦。北京チームに所属しチームの総合勝に貢献。自らデザインした華麗なウェアを着用し試合に出場し「卓球界のジャンヌダルク」と呼ばれ、自らのブランド「Final Winner」を立ち上げる。 競技だけでなく、テレビ出演、講演、デザイナー等、幅広い分野で活動中。
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4歳より、母と姉の影響で卓球を始めました。武蔵野中学、高校時代に国内外の大会で好成績を残し、その後淑徳短大、大学へ編入をしました。また、大学時代の韓国合宿では、夜中の0時から27名で総リーグ戦を行うなど、過酷な訓練に耐え、心技体を磨きました。
卓球をやっていた母親の影響で物心ついた頃から卓球に触れていたので、いつ自分が始めたのか記憶がまったくありません。ですから母と姉に一緒に卓球場に連れて行ってもらってラリーをやっているのが当たり前の環境でした。ただ、私が中学生の頃の卓球のイメージが「暗い」でしたので、卓球を明るいイメージに変えたかったため卓球に取り組みました。
自分でデザイン画を描いてメーカーに作成していただいた、テーマ「うまれる」というユニフォームが注目された2007年の全日本選手権大会のときに、髪飾りのマーガレットを注意されました。トータルコーディネートなので、これを取ることは絶対できないという曲げられないおもいがありました。しかし、自分の意思を曲げたら四元奈生美じゃないと思い、次の試合で大きな「羽」を付けて試合に出たことが覚悟の瞬間でした。
卓球がもっと明るくメジャーな競技になるように、自分自身が出来る事を頑張ってやっていきたいです。またデザイン学校のほうにも一生懸命通っていたので、デザイナーとしても活躍をし、卓球のウェアが全スポーツの中で一番かわいいと言ってくれるように盛り上げていきたいです。
苦労をすることも多いと思いますが、自分らしく周りに流されずに、大きな志を持ってルールに則って、人に迷惑をかけずに自分の信念を貫いてください。
2007年の全日本選手権で着たウェアです。当時の卓球のウェアに対するイメージを一新する為、デザインから全て関わりました。
重さもラバーもすべて特注で、自分のオリジナル仕様に作って頂いております。