鳥取大学医学部卒業後、外科医として修練を行う。外科専門医、学位を取得し救急医の道へ。豊富な臨床経験、JR福知山線列車脱線事故をはじめとした多くの災害現場対応の手腕を買われ、2010年より現職、病院前から退院まで一貫した救急医療を提供する全国屈指の但馬救命救急センターを指揮する。その活躍ぶりは数多くのメディアにも取りあげられる。
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小学生の時、いつでも何でも診てくれた開業医さんがおられました。医師になろうと思ったのは、その姿が何となく意識下にあったのかもしれません。救急医を目指したのは、医学部で学んだ知識・技術をフルに活用し、軽症から重症まで、老若男女分け隔て無く対応出来るからです。
1分1秒でも早い医療介入をし、救命率向上の方策を取ることを一番に考えています。その為、やらない理由や根拠が明示されない限りは全力で救命に邁進し常にフルスイングで活動しています。また、最良の救急医療は提供するために、感情に蓋をし、声を荒げないアドレナリンを出さない、冷静な現場対応が出来なければなりません。そして何より、医療は医師だけでは出来ません。多職種との連携・協力があってこその地域救急医療ですから、その点も大切にしています。
研修医のころ医療介入・開始が遅くて助けられなかった事案がありました。先輩外科医からは「しようがないよ」と言われ、救い上げる方法、可能性は誰も教えてくれませんでした。それでも、研修医なりに考え、時間・チームの大切さを痛感すると同時に、医者が諦めることは人の「死」であることも感じ、そう思うようになりました。
自分の判断、指示、治療が「救命or死亡」を左右するであろう瞬間です。医療チーム、患者人生全ての責任を負う覚悟が求められると思っています。
一地方で行っている救急医療の形・システムが、我が国の救急医療体制の参考に少しでもなればと思います。そして、次世代を担う多くの救急医を育て、彼らに育てられたいとも思います。
センター長就任の記念に元上司からいただいたもの。救命救急の道へ導き入れてくれた方であり、「これでセンター長のサインをビシッとして沢山の救急医を育てなさい」の言葉が日々思いだされます。
早期医療介入を実現するための無くてはならないドクターヘリ。そのドクターヘリに使用されている機体の模型を当センター仕様に塗装してもらったものです。