日本の元競泳選手で、枚方スイミングスクール(枚方SS)コーチ。専門種目はバタフライ。短水路200mバタフライの元世界記録保持者。200mバタフライ日本記録保持者(2010年5月17日現在)
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母と一緒に泳ぐベビーコースから始めて、気が付いたら水泳を習っているという感じでした。ごく自然に自分の生活の一部になっていたと思います。当時はピアノと公文式と絵描きも習っていたのですが、小学校の卒業文集では「水泳でオリンピック選手になる」と書いていたので、習い事の中でも一番水泳が好きだったのではないかと思います。
水泳を始めたきっかけは前述の通りですが、中学校2年生の時に初めて全国大会で優勝したことが自分にとっては大きな一歩となったかと思います。当時、同年・同種目で活躍していた青山綾里さんがいらっしゃったので、私はそれまでずっと2番手という存在でした。全国優勝をしたもののその時は青山さんが出場していなかったので、それほど大きな喜びは感じることはなく、それからもただがむしゃらに水泳を続けましたね。高校2年・3年とインターハイでは優勝できても、日本選手権に行くと勝ち残れないという状態が続きました。それもあって、「日本一になりたい、日本記録を更新したい」という気持ちは強く持ち続けていました。その後、1997年東アジア競技大会200mで優勝できた時は、今までに味わったことのないような快感を覚えました。泣きながら喜びましたね。
初めて出場したオリンピックはやはり強く印象に残っていますね。2000年シドニーオリンピック前年の日本選手権で2位に入賞したことで、オリンピックの代表に選ばれることになりました。そこからは、もちろん猛練習の日々でした。本番ではアドレナリンが出過ぎて、いつもよりストレッチを強く伸ばしてしまい、筋を切ってしまいました。しかしながら、時間は迫っていましたし、あとは更にアドレナリンを出すことでその痛みを忘れるしかありませんでした。初のオリンピックでの結果は、200mで7位というものでした。しかしながら、間近でメダルを獲得する選手を見て、自分も次に出場する時はそういう風になりたいと強く思っていましたね。
まだスクールで水泳を習っていたころ、私は大阪府池田市に住んでいたのですが、より厳しい練習をするために枚方市のスイミングスクールに移籍することにしました。当時中学1年生だった私にとって、この出来事は覚悟の瞬間でしたね。また、大学1年生の時に初めてのオリンピックに出場するために、厳しい練習をしていくと決めた時も覚悟の瞬間でした。覚悟を決めたことによって、オリンピックに出場し、またメダルを獲得することができました。すべては覚悟がなければ、できなかったことだったと思います。
現在はコーチとして子供から大人まで教えています。自分自身は競技者として水泳を習ってきたので、感覚を言葉にすることの難しさに直面しています。その人に合った泳ぎを見つけるということも難しいことですが、幅広く教えられる指導者になりたいと思います。
五輪がデザインされた特別仕様の時計です。デザインも可愛くて気に入ってます。
いつもトレーニングウェアなどを持ち歩くので、たくさん入るこのバッグはとても便利で重宝してます。