経日本パラリンピアンズ協会会長・みんなの党参議院(静岡県第1支部長)。早稲田大学卒業。35歳、全盲の熱血教師。パラリンピック金メダリスト。
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明るく元気よく、楽しい学生時代でした。15歳で失明し、盲学校の高等部に進学しましたが、すばらしい仲間と出会うことができました。自分の関わる社会が広がっていったのは大学時代でしたね。水泳はもちろんのこと、勉強にも集中して取り組みました。もちろん恋愛にも全力で立ち向かっていきました。10歳から教師になりたいという夢をもち、その夢がかない、公立中学校の教壇に立つことができました。
教師になりたいと思ったのは10歳も時でした。当時の担任の先生にあこがれていました。得意だった水泳を教えたいということも理由としてありました。笑顔で働ける楽しい仕事にあこがれていたのかもしれません。大学生のころには、子どもたちに夢をもち、かなえる力を身につけてほしいという思いで頑張っていました。
いろいろな方との出会いが私のターニングポイントになっていると思います。大学に進学して、水泳競技をしている時周りはオリンピックやパラリンピックを目指す方たちばかりでした。その環境に身を置けたからこそアトランタで金メダルを取れたのだと思います。
徐々に目が見えなくなっていたので「いつか・・・」と覚悟はしていました。失明した時が私の覚悟の瞬間です。見えない世界で生きていく決意をしました。
政治家になり、より良い教育・福祉に力を入れていくことが今後の目標です。
アトランタパラリンピックで優勝した後、首相官邸にて橋本龍太郎元首相からいただいたものです。大切に使わせていただいています。
その前のパラリンピックで金メダルが取れずに悔しい思いをしましたが、結果として金メダルを取ってみて気づいたことは、自分以上に喜んでくれる存在がいたこと・大きな喜びをいろんな方と共有できたことでした。