私のカクゴ

編集者 見城徹
けんじょうとおる

見城徹

静岡県生まれO型
職業:編集者
趣味:絵画蒐集、麻雀、レストラン評論
座右の銘:正面突破

慶應義塾大学法学部卒。75年角川書店入社、「月刊カドカワ」編集長などを歴任後、取締役編集部長を最後に93年退社、幻冬舎設立、代表取締役社長に就任。五木寛之「大河の一滴」、石原慎太郎「弟」など創立19年で17本のミリオンセラーを送り出す。03年JASDAQ上場、11年MBOにより上場廃止。著書に「編集者という病い」(集英社文庫)など。

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来歴

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幼少~学生時代

大学生時代は学生運動から足を洗ってから、何の目的もない日々を過ごしていました。就職先は決まっていたのですが卒業後進路には、「さすらいのギャンブラー」と書いた事を覚えています。慶應大学では卒業生の進路先が書かれた本が配られるのですが、周りの卒業生の進路先が大手企業が多い中私の進路先だけ異質でした。でもまさか、本当に記載されるとは思いませんでした。

現在の道へ進んだきっかけ

大学卒業後は実用書の出版社に就職し、編集者の仕事を行っていました。初めて企画・編集を担当した書籍が「公文式算数の秘密」というタイトルの本で、これがいきなりベストセラーになりました。ただ、私は小説の出版に携わりたいという気持ちがずっとありました。そんなとき、あるきっかけで角川春樹さんと出会い、角川書店に入社する事となりました。入社後は、それまで角川書店では書かないと言っていた作家やアーティストの作品を獲得するべく、圧倒的な努力をしました。その功績が認められ、「月刊カドカワ」編集長などを歴任後、41歳で取締役編集部長になりました。

覚悟の瞬間

幻冬舎を立ち上げた時と、MBOに妨害が入った時ですね。多くの人の支えもあり、立ち上げた幻冬舎ですが、設立直後から最初の本が出版されるまで、半年間は当然、売り上げはありませんでした。しかし、そんな時こそ努力をしないといけないと思い、設立した年の年末年始に、朝から深夜まで作家やアーティストに作品の感想を書いた手紙を送り続けました。そのおかげもあり、最初の6冊の本を出す事ができたのです。結果この6冊の本はすべてベストセラーになりました。その後、会社の経営は順調にいき、上場したのですが、目先の利益だけを追うようになり、MBOによる上場廃止の決断をしました。それに伴いTOBを行う事を決めるのですが、謎のファンドが株式の約35%を買い占める事態となりました。上場廃止を否決できる株数です。これにより私は巨額の借金を背負ってしまう可能性が出てきたのです。これは私の人生の最大の窮地だったと思います。このとき自分が死んでも良いという覚悟で正面突破を試み、上場廃止を決議できました。自分が死んでもいいと覚悟が決まれば、不可能な何かが動きます。

今後の目標

すべての結果は、自分の死の瞬間にしか来ないと思っています。それまではプロセスだと。死の瞬間、自分で自分の人生の成功か失敗かを決める。死の瞬間のその時後悔しないために、今、何をやるべきか? その想いに忠実に生きたいと思っています。ですから目標は、自分の人生、まあまあだったなと、微笑して死ぬことです。そのために、今、戦っています。

日本のアカルイ未来のために

「正面突破」これしかありません。とにかく逃げたり、ごまかしたりしてはいけない。それで一時は凌げるかもしれないけれど、そんなものはいつかはだめになります。

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お気に入り

万年筆

主に手紙を書く時などに使用しています。幻冬舎を立ち上げるときに友人から貰ったっもので、20年近く愛用しています。

手帳

この手帳は40年くらい使用していますね。何かアイディアを書いたり、予定を書いたり、思い付いた事は何でも手帳に書くようにしています。