一橋大学社会学部卒業。TVディレクターを経て82年パフォーミングアーツグループ「パパ・タラフマラ」を設立。以降、全55作品の作、演出、振付を手掛ける。パパ・タラフマラ以外での演出作品も多数。演劇、舞踊、美術等のジャンルを超えた強くオリジナリティ溢れる作品群は、35か国以上で上演され国際的に高い評価を確立。各国アーティストとの共同制作やプロデュース公演、プロや市民対象のワークショップなどを数多く実施。97~04年つくば舞台 芸術監督、アジア舞台芸術家フォーラム委員長、さまざまな審議員、審査員等を歴任。パパ・タラフマラは2012年5月31日に解散し、6月1日から「小池 博史ブリッジプロジェクト」を立ち上げる。「舞台芸術の学校」学長。
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どうにも人とは違っていた子供だったようです。写真を見ると1歳の頃と今と、あまり目つきが変わっていないので、周りから見たら嫌な子どもだったかと思います。
大学で映画を撮ろうと思って入学しましたが、級友に「舞台も似たようなものだ」と言われ、演出をさせられたのがきっかけでした。
何と言っても「3.11」後にパパ・タラフマラの解散を決意し、今に至ったことが覚悟の瞬間でした。「3.11」問題というのは、私ばかりではなく全人類にとっての覚悟を要する問題かと思います。
汎アジア的な思想を基に、日本の再構築を身体レベルから行っていくことが目標です。
まずは「からだ」。そして「感性」を鍛えることが大きな希望に繋がるはずです。今のままではお先真っ暗ですからね。
眼鏡を掛けたのは4年くらい前からですが、それまでは視力2.0を誇っていましたので、愕然としました。この眼鏡は軽く、かつ丸々した感じが明治の文豪のようで気に入っています。
そもそもボールペンは好んで使用はしませんでしたが、このボールペンを使用して、あまりに書きやすく驚きました。万年筆好きではありましたけど、まさかボールペンを良いと思うとはという驚きがありました。