昭和62年、群馬大学医学部卒業後、東京女子医科大学大学院入学。同年東京女子医科大学附属日本心臓血圧研究所外科入局。米国Wayne State University、豪州Alfred Hospital、豪州Royal North Shore Hospitalで2度の留学で心臓血管外科の最先端の研究および治療を経験。帰国後東京女子医科大学心研循環器外科病棟医長。平成16年東京女子医科大学東医療センター心臓血管外科助教授、順天堂大学医学部心臓血管外科助教授を経て、平成19年2月埼玉医科大学心臓血管外科教授、同年4月より現職。
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小さな頃より比較的手先が器用であったので中学校の頃より漠然と外科医になりたいと思い始めましたが、高校時代に見たドラマ「白い巨塔」の財前教授に感化されて外科医こそが天職だと思いました。
できる限り自分にできる最良の医療を行うこと。特に手術に対しては妥協せずに行うこと。毎回の手術で100点を取れるように努力し、そうならない時に何が問題かを反省し、次に活かすことを考えるようにしています。
手術の質を特に気にするようになったのは順天堂大学で天野篤先生と一緒に働かせていただいた時期です。3年間働かせて頂きましたがほぼ一緒に手術に入ることはなく、隣の手術室で執刀していましたが、今日はどういう手術をするかなどを話しました。「先生はその程度の手術なんだ」などと最初のうちはよく言われ、自分がずいぶん保守的であることを思い知らされました。しかし、医療ですからもちろん無茶なアクロバッテックなことはできませんが、天野先生にその程度などと言われないような手術を行う努力をし、今でもそう思ってやっています。
本当の覚悟とは1度きりなのかもしれませんが、私の場合3度ありました。東京女子医大に入局し、医師になって3年目にアメリカに留学した時が現在の仕事にとっての第一の覚悟でした。次は、アメリカから帰国して3年後にオーストラリアに留学したことです。この際にも、最初はメルボルンにあるAlfred Hospitalに1年おり、2年目からシドニーにあるRoyal North Shore Hospitalに移りましたが、ここでも一大決心が必要でした。3度目は東京女子医大から順天堂大学に移る時でした。天野教授からお誘いを受け、今までの自分の育ってきた文化とは違うところへ行く不安感は強くありましたが、天野先生に対する外科医の興味が勝り、移ることを決心しました。
気力と体力が許せる限り、心臓手術を続けて一人でも多くの患者を助けていこうと思っています。4年前よりタイやミャンマーに医療支援に行っています。大学教授としてではなく、様々な人に支援をしていただけるように一般社団法人も立上げました。ミャンマーには年に2回行っており、現地の心臓外科の先生と心臓手術を行い、日本の先進的な治療を紹介し、普及させています。また、ミャンマー、タイから医師や看護師、臨床工学士を埼玉医大で修練するプログラムも始めています。日本はアジアで最も発達した国であり、産業だけでなく医療でもアジアに貢献できることがあるはずだと考え、こういった活動を継続していこうと思っています。
ある祈祷の先生からいただいたお守り。開運と自分を守ってくれているものとして、手術中以外は常に身につけています。
心臓手術の際に使用するものでこれがないと手術ができません。大学以外の病院で手術を行って壊れてしまうと大変なので、同じものを3つ持っています。