高校卒業後、グラビアやキャンペーンガールなどのモデル活動をする。その後、あるコンテストがきっかけで、太田プロにスカウトされる。1989年、合コンをきっかけに同じく太田プロに所属していた爆笑問題の太田光と同居を開始し、付き合うことになる。1990年9月26日、結婚。この年、爆笑問題は太田プロから独立。1993年、「タイタン」を設立。光代自身の営業努力や爆笑問題の実力が実を結び、事務所の経営が軌道に乗る。その後、長井秀和などのお笑いタレントを輩出。2004年1月から弁護士で現大阪府知事の橋下徹を所属させる離れ業を成し遂げ、大手に引けを取らない芸能事務所に成長させた。2003年にハーブ専門店「ウィッチムーン」を開店。2007年フラワーショップ「a Flower of Grassアリエル」開店。新たな事業にも挑戦している。
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1歳半のころに先天性股間関節脱臼が発覚し、治療のために入院していました。毎日同じ景色を見ていて、空想していないと飽きてしまうような生活でした。現在の空想癖は、この時からのものだと思います。将来の夢は医者になることでしたが、小学4~5年生の時に医者になるための勉強は大変だということに気づきました。そこからは専業主婦にあこがれて料理教室に通ったり、演劇をやってみようと思い立ち、演劇学校に通ったりとやりたいと思ったことは何でもやってみました。
高校生の時にモデル事務所にスカウトされ、モデルになりました。ミスコンに出ているうちに太田プロに入ることとなり、いつの間にかものまね芸人になっていました。ミスコンで特技の顔真似を披露したからだと思います。同じ事務所に爆笑問題がいたのですが、初めてライブを見たときに、ネタは面白いのに印象は薄いと感じました。
事務所を辞めた爆笑問題を売り出すために、新しい事務所が必要だということで社長になりました。それまで、いろいろな職を経験しましたが、社長を始めて1週間で「天職」だと思いました。もともとアイデアを出すことが好きで、実現することはもっと楽しいことです。それが社長だとできるとわかったからです。社長をやっていて、大会社でない限り「高見の見物」では成功しないと思いました。自分を見て社員が「社長がここまで働いているなら・・・」と感じてもらうことがリーダーシップだと考えています。
覚悟の瞬間は毎日あります。毎日、覚悟をして決断しています。日々の出来事を覚えていないと、小さなことが大きなことに発展することが多いからです。
小学校の時の夢でもあったレストランシアターを作りたいと思っています。現在の仕事をすべて融合させるとできるのではないかと感じています。後は、60歳になったときに太田さん(夫)と船で世界1周旅行に行くことを約束していますので、その事も楽しみにしています。
昔のアロマポットと比べてすごく効率的になっていると思います。広範囲に香りを広げることができ、アロマオイル本来の香りが楽しめます。アロマオイルは純正の物にこだわって、お風呂に入れたり、おしぼりにふくませたりもしています。
オリジナルブレンドのハーブティーです。ビタミン豊富で美肌効果があります。身体が一番求めているものを飲むようにしています。