滋賀県草津市出身。 小学校2年生の時から野球をはじめ、中京高校時代は2年生の時、双子の兄とともに第82回全国高等学校野球選手権大会に出場。亜細亜大学を経て、2006年に福岡ソフトバンクホークスに入団。2023年に巨人へ移籍。 1921試合出場し、301本塁打、の記録を残し退団。
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父親が甲子園出場、私も小中高と双子の兄と同じチームで野球漬けの生活をしてました。その時は単純に野球というスポーツに面白さを感じ、またプロ野球が身近にいなかった故にプロ野球選手は目標ではありませんでした。転機となったのは大学一年生の時、日本代表に選んでいただいたことです。そこで初めてプロ野球を意識するようになりました。
元気が取り柄の故、試合に出続けることはすごく意識していました。「打って」「守って」「走る」野球の技術に関してプロ野球選手は力の差がさほど変わりません。そこから一歩抜け出すにはどうすればいいのかと考えた時、私は「元気でチームに欠かせない存在でいること」に辿り着きました。そこを意識するようになってから、結果も伴うようになりました。
やはりプロ野球に入団した時です。レギュラーになる前は人一倍練習した自負があります。長時間の練習をこなすことがプロ野球の世界で唯一生き残れるという覚悟をもって日々野球に向き合ってきた記憶があります。そのおかげで「40歳まで現役」という目標を達成できたと思います。
当時2軍監督だった秋山幸二さんです。入団1年目からプロ野球のイロハを教えてくれた教えていただいた方ですが何してもかっこいいです。60歳を超えても18年前と体型は変わらず、理想としているかっこいい男性像ですし、尊敬していますし、感謝しています。
今まで野球一筋だった分、2024年は「周りから野球を見る」ことをやっていきたいです。野球はもちろん、違う競技にもトライしていきたいです。今までできなかったことを、40歳を機にあらゆるものに挑戦していきたいです。
皆さんには夢と可能性が無限大にあります。何事にもチャレンジする気持ちを大事にしていただき、自分の夢を自分の手で掴んでください。
国際大会を計4回、日本代表として参加させていただきましたが、自分の中で一番頑張った大会でありかつ優勝した大会なのでかなり思い出深いです。
18年間の野球人生、そしてバッターとしての証である300号ホームランの記念ボール。自宅に飾っているものを持ってきました。