学生時代から様々な踊りを習う。95年、ベリーダンスの舞踏家、振り付け師に従事。97年、エジプトにてプロデビュー。五つ星ホテルのナイトクラブで踊る傍ら、映画やテレビドラマにも出演。2005年から3年連続で、世界中のベリーダンサーが集まるフィスティバル「アハラン・ワ・サハラン」のクロージングパーティで踊る栄誉に輝く。
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子供の頃は学校の先生になりたいという夢がありました。小学校の高学年、中学生になるにつれ、英語が好きだったので、何かグローバルな事をやりたいと思うようになりました。次第に学校の先生ではなく、スチュワーデスになりたいと真剣に思うようになってきました。短大も英語・英文科に進み、資料を取り寄せたり、かなり勉強しました。
元々、身体を動かす事が好きで、東京に上京してから色んな踊りをやり始めました。最初はエクセサイズから始まって、エクセサイズをやってみると、色んな踊りをやりますからバレエやジャズダンス、ヒップホップもやりました。そんな中で自分の中で表現出来る熱いもの、踊りのスタイルにまだ出会えてないっていう感覚に苛まれていました。それから自分で色々な文献やビデオなどに目を通し、探していると、たまたま見たハリウッドの映画で、「サルメ」に出会いました。新約聖書か何かに、一行だけ出てくるヘロデ王の前で、サルメというプリンセスが踊るシーン。そのシチュエーションに惹かれ、「そこで踊られているモノは何だったのか?」そんな疑問を辿っていくと、「ラークシャルキ」というアラビア語に辿りつきました。それが、日本や、世界一般でベリーダンスとして知られている踊りだったのです。
このベリーダンスというモノを探し求めた時こそが、私のターニングポイントで、その踊りに巡り会えてその踊りの本場であるエジプトでデビューできたという事が、人生の中で非常に大きな分岐点だったと思います。日本人ダンサーも少ない中で、単身エジプトにわたって来たときこそが、私の人生の始まりだったように思います。本場の人々に受け入れられて12年間仕事をし続けて来ました。そういう全ての事柄、経験によって今の私の人生があります。
エジプトでプロダンサーとして認められるようになった頃、母親からよく「いつ、日本に帰ってくるの?」と聞かれていました。母からしてみれば常に心配だったのでしょう。「日本に帰ってきて」という言葉を何度も聞きました。しかし、自分のダンスへの想いは断ち切る事が出来ず、エジプトに残る事を決めました。家族、親よりもダンスを選んだ訳です。非常に辛く、家族には申し訳ない気持ちでいっぱいの毎日でした。 その後、2005年から3年連続で世界中のベリーダンサーが集まるフェスティバル「アハラン・ワ・サハラン」のクロージングパーティで踊るという名誉に輝く事が出来ました。これも、私のわがままを許し、日本から見守ってくれた家族があったおかげだと思います。
これからは、今まで培ったベリーダンサーとしてのキャリアを活かして、本当のベリーダンスの素晴らしさを日本の方にも伝えていきたいと思います。また、ダンスだけではなく、エジプトという国が持っている、多くの素晴らしい魅力を伝えていきたいと思っています。
ドバイ・アラブ等で街を歩くときの必需品です。
光のあたり方によって、色が変化する宝石です。エジプトで購入しました。