元女子シンクロナイズドスイミング日本代表選手。シドニーオリンピックと2004年アテネオリンピックの銀メダリスト。世界水泳福岡大会金メダリスト。
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すっごくおっとりしてました。両親には朝から晩まで「早くしなさい」としか言われないぐらいおっとりしていました。3人兄弟の末っ子で1人だけ女の子だったので、おおらかに育っても良いかなと両親も思ったみたいで、そのまま育ててくれました。決して自分に自信があったわけではなく、少しぼーとしてる分、何をしてもどんくさかった子どもでした。
小学校入学前の5歳の時、近所の子どもが皆家から1分の所にあるスイミングスクールに通い始めました。私もその波に乗り遅れてはいけないと思い水泳を始めました。当初は選手になるためではなく、普通に2年近くクロールや平泳ぎを泳ぐ練習のために通っていました。黙々と淡々と通い続け、進級テストに合格していきました。合格した時に、力試しのために競泳の大会に出場したのですが、その時にたまたまシンクロのコーチをやっている方が私を見て「シンクロやってみないか?」と担当のコーチ経由で私にお話を頂きました。それがシンクロを始めたきっかけなのですが、未だに誘ってくれた方が誰なのか分かりません。
たまたま近くにスイミングスクールがあり、そのスイミングスクールが全国的にも珍しく、シンクロコースが組み入れられていたということが、一番のターニングポイントです。ある時、担当のコーチに「美保ちゃんをシンクロに誘ってくれているお姉さんがいるんだけど、シンクロって知ってる?」と聞かれました。そもそもシンクロコースがあるのを知らなかったので、とりあえず見学に連れて行ってもらいました。シンクロを見て初めての感想は、人魚姫の世界を見ているのかと思いました。手の動きや笑顔、人間離れした世界感を不思議に思うと同時に憧れを抱きました。実は、クラッシックバレーに当時凄く憧れていました。また芸術を見るのが好きだった私は、その美しい芸術の世界観と唯一の習い事だった水泳との融合感がシンクロスイミングだと思い、直感的にやるべきだという判断にいたりました。
1回目のオリンピックが終わった後、シンクロをやりきったという達成感を持っておりませんでした。ネガティブな感情でシンクロを辞めて、第二の人生をどんな風に歩むかという事が全く想像が出来ませんでした。そこで私はどうせ辞めるならシンクロをやりきって辞めようと思い、2回目のオリンピックに挑む事を決意しました。まさに覚悟の瞬間でした。
今、色々なチャレンジをさせて頂いていて、そのチャレンジがシンクロの時に体験した感情のふり幅が持てるものになるかは分かりませんが、チャンスに巡り合ったらとことん挑戦しようと思っています。なかなか、言葉にはしづらいのですが、貪欲に全ての出来事にシンクロで得た経験の可能性を信じて、トライしていこうと思います。
現役時代もそうですが、子供の時の試合からという試合すべてにおいてずっと使用していました。スポーツ用品店に行くとこのメーカーのものしかなかったので(笑)思い出の一品です。
今までは香水を使用していたが、2~3年前からロクシタン(ローズシルキーボディミルク)を使用しています。時間が経っても匂いが残るのと、時間が経つにつれて私の好きな匂いに変わるので気に入ってます。