高校卒業後、上京し就職。働きながら法政大学を出て、サラリーマンだった26歳の時「人生を政治にかけよう」と志を立てた。代議士秘書、横浜市議を経て、1996年に衆議院議員で国政に。以後5期連続小選挙区当選。総務大臣や党選挙対策総局長を歴任し、現在に至る。
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秋田杉に囲まれた自然豊かな環境で生まれ育ちました。農家の長男だったので家の手伝いをしながら、高校を卒業しました。「東京で自分の力を試してみたい」という気持ちから集団就職で上京し、段ボール工場で働いていました。しかしながら、「視野を広げるために大学で学びたい」という気持ちが強くなり、築地市場で台車運びのアルバイトをしては、アパートに帰り試験勉強・・・という生活を2年間送りました。当時、私立大学で最も学費が安かった法政大学に入学。その後もアルバイトでさまざまな職場で働き、学費を稼ぎながら大学を卒業することができました。
民間企業に就職するもサラリーマン生活の中で「世の中を動かしていけるのは政治だ、人生をかけてみたい」と思い、政治の道へ進むことを決心しました。しかし、まったくつてがない私は大学学生課に飛び込みました。そこで法政大学OBの国会議員事務所に紹介を受け、小此木彦三郎元通産大臣の秘書として11年間勤務しました。
4期目に総務副大臣を務め、安倍内閣時代に総務大臣に就任したことが大きなターニングポイントだったと思います。ふるさと納税から始まり、NHK問題、夕張問題、郵政民営化の実施などわずか1年に19もの法律を作り、総務大臣として実績を評価していただけた時は大変な達成感を感じることができました。
政治を志した後に、横浜市西区から市会議員に立候補することを決めました。しかし、当時の現職は自民党の有力議員で、周囲からは猛反対を受け「地盤」「看板」「カバン」なしでの活動をスタートさせました。まさに覚悟の瞬間でした。一に行動、二に行動と、1日300軒歩き続け、奇跡的に初当選を果たしました。この時の経験から「意志あれば道あり」が座右の銘となりました。
厳しい状況の中の2009年、衆議院選挙小選挙区で連続5回目の当選を果たしました。自民党改革のために「世代交代」などを訴えています。今日も私は走り続けます!
私が秘書を務めた元通産大臣の小此木彦三郎さんの遺品です。15~6年前に当選祝いでいただいたものです。国会議員になったら使おうとずっと大切に持っていました。
政局が動く時、この電話がひっきりなしに鳴ります。各界キーマンの電話がメモリーいっぱいに入っています。