岡山大学医学部卒。大学院卒業後、ニュージーランド、オーストラリアで臨床研修。メルボルン大学で36歳時に準教授(日本人初)。帰国後41歳で岡山大学心臓血管外科教授就任。左心低形成症候群に対するSano手術の開発、小児に対する心筋再生医療の世界初の成功など数々の新しい治療を開発、発表する。
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小学4年の時に、運動会の鉄棒で落ちて左肘の複雑骨折し、田舎の町立病院で緊急手術をしました。困難な状態だったらしく「上手くいかなかった。手が動かなくなるかもしれない。」と言われましたが、3か月間リハビリに励み、やっと手が動くようになりました。医者でも腕が違うと実感し、腕の良い医者になりたいと思いました。大学卒業後には岡山大学第2外科に入りました。患者の1人に、悪性骨肉腫で肺転移を繰り返し、そのたびに入退院を繰り返す女子高生がいました。いくら頑張ってもがんは治らず、転移を繰り返し、最後は呼吸ができなくなり、亡くなられました。「佐野先生と結婚するのが夢。その夢があったから、つらい抗がん剤治療にも頑張った」と母親から伝えられ、癌医師としての自分の無力さを痛感しました。その後は、腕が良ければ命が救える心臓外科医になろうと決心しました。
我々は心臓外科のプロ。プロである限りは腕に差があるのは当然です。野球でもサッカーでもテレビで試合を見て、成績が公表されるので、どの選手がどの位の実力を持っているかは皆知っています。医療ではそれが公表されないため、患者さんの多くは自分の主治医は一軍の選手、いや大リーガーではないかと思っています。プロ野球でもサッカーでも一軍の選手になろうと思えば、努力して競争に勝たなければなりません。大リーガーになろうと思えば、もっと努力しないといけません。それでも大リーガーになれるのはほんの一握りです。 それは医療も同じで、大リーガー級の医師になろうと思えば、人の2倍も3倍も努力しないといけません。
仕事を通じて多くの恩師にプロの心臓外科医としての心構え・考え方を学びました。その中でも、寺本滋医師(第2外科教授)には、医者は「24時間、365日、患者さんのために働きなさい」と、 Sir Brian Barratt-Boyesドクターには、「外科医は多くの症例を経験しなければならないし、イノベーティブな外科医になりなさい、アカデミックな外科医になりなさい、そしてチーム医療が大切である」と、 Roger Meeドクターには、「Great surgeon , Great man」という言葉、「一番簡単なのは、論文を書くこと(症例報告)、次は良いチームを作ること 、最も難しいのは人を育てることである」と教わったことがきっかけです。特にSir Brianドクター, Roger Meeドクターは世界の超一流心臓外科医で、世界中誰でも知っています。
権限と人の命を預かっているので、それだけの心構えが無い人は手術をしてはいけないと思いますし、心と体の準備がないと手術はしてはいけなと思います。
キーホルダーは子供の患者様からもらったもので、子供を診察する時にキーホルダーで患者の気持ちを紛らわせるもの
外国に行く時に持って行く、これがないと手術できない