国内外のコンクールで数々の賞を受賞。ドラマ「のだめカンタービレ」、映画「神童」で吹替演奏を手掛ける。年間120本以上の演奏活動のほか、8枚のCD、書籍、教則本、楽譜集を発表。映画「さよならドビュッシー」で役者デビュー。2014年2月には自身初となるコンサート映像DVDをリリース予定。
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とにかく母が音楽好きで、僕と姉に音楽の英才教育を施し、息もつけない程のスパルタで育ちました。友達と遊びに出掛けたことなんて殆どありませんでした。毎朝5時から練習を始め、学校は途中で早退するなど、とにかく年に一度のコンクールでの優勝を目指して必死に練習していました。母や先生を恨んだこともあったけれど、内心、これくらいやらないと1番になれない、と思って頑張りました。でも、実際にコンクールで優勝しても、中々幸福感は訪れませんでした。それどころか虚無感ばかりがウィルスや黴の様に増殖していきました。それで18歳の時に日本を飛び出してロシアへと留学の旅に出ました。ここから大冒険がありました。
きっかけというきっかけはありません。ただ空気のように音楽が側にあったので、あまり意識したことがありません。
ロシアに留学に行ったとき、殆ど誰のアポもなく飛び込みで入学しました。ホテルも予約せず、75キロの生活品を両手にモスクワに降り立ちました。翌朝モスクワ音楽院へ。言葉も全く分からず、右も左も分からない私は、何やら言われて古ぼけた病院に連れて行かれました。すると白衣も着ていないお婆ちゃんが部屋に入ってきて、何やら手提げ袋から注射を出してきました。私は覚悟しました。何の躊躇もなくお婆ちゃんはその注射を僕の左手に刺してきたのです。そして、血を抜いた。それは、何でもない、外国人用のAIDS検査だったのですが、そのときは、本当に恐ろしかったです。高校生のとき、イタリアでパスポートを失くして、死ぬ思いで再発行しました。安心してたら帰りの航空券を失くしたパスポートに挟んでいたのを帰り際に思い出しました。時すでに遅し。明朝には空港にいかなくてはなりませんでした。警察の紛失届があれば地上デスクで航空券の再発行が可能でしたが、気付いたのは夜で、もう警察はそういう手続きをやっている時間ではありませんでした。私は決心してパスポートの紛失届に航空券の文字を偽造しました。翌朝、丁寧にデスクのお姉さんがその書類を観ていたが、ばれませんでした。あのときはいろいろと覚悟しました。
先のことは分かりません。そのときそのとき、できることをやらなくてはならないことを全力でやるのみです。
タブーに挑戦してください。テリトリーに侵入してください。時には権力や群衆、多数意見に天邪鬼になって、逆説を盾に突撃してみてください。
どちらもいつも携帯しており、車の中やコンサートの空き時間などに、走ったり、バッティングセンターに行ったり、そこまで時間がないときは握力を鍛えたりしています。
明るいのが嫌いなため、家では常に間接照明です。それもあり、運転中や日差しの強い日にはサングラスが欠かせません。毎日使用するため、どんどん数が増えてきました。