正則高等学校を経て東京経済大学経済学部卒業後、渡英。ロンドンで役者活動、デビュー前のボーイ・ジョージと共同生活するなどして、ロンドンのミュージシャン達と交流する。福山雅治、山崎まさよし、ユーミン、ドリカム、中山美穂、桑田佳祐、今井美樹などのCDジャケットを手がける。また、布袋寅泰のファーストアルバム「GUITARHYTHM」では作詞をしている。写真集やエッセイ集の出版、写真展の開催、ラジオDJなど幅広いフィールドで活躍をする。人生の希望を撮るのが一貫した写真家としてのテーマ。2011年日本写真協会賞作家賞受賞。
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生後3カ月から高校2年生までの16年間、「腰椎カリエス」という骨が腐ってしまう病気にかかっていました。そのため友人もおらず、体を動かすことを禁じられていて、孤独と絶望と共に生きていました。
中学2年生になった時、友人の勧めで部活に所属し、カメラを手にしました。「人の心を優しくする写真」、「人が人を好きになる写真」、「人の心が清くなる写真」を撮りたいと思いました。
20歳の頃、公園でバレーボールをしている少女2人を写真に撮っていた時のことです。この内の一人の少女が、ボールが僕にぶつかりそうになった瞬間、とても優しい思いやりのある瞳で僕を見守ってくれました。友人に恵まれなかった僕は、少女が注ぐ視線を「人間が持ちえる美しさの全て」と捉えて、以降この瞳が僕の写真観の基本となりました。 またイギリスに滞在中、地下鉄で偶然ザ・クラッシュのジョーストラマーに出会いました。当時イギリスはパンクの絶頂で、私は「日本人にイギリスのパンク精神は分かるのか」と悩んでいた時でした。私は恐る恐るジョーストラマーに声をかけ、写真を撮らせて頂きました。するとジョーストラマーに「君はフォトグラファーだろ?撮りたいものを撮れ!それがパンクだ。」と言われました。その言葉が今だに耳に残っています。私の思い出に残る一言です。
23歳で、半年のつもりでイギリスに旅に出ました。ほとんどを病弱で過ごした少年時代を一度リセットして、生まれ変わりたかったからです。結局一度も日本に帰ることなく、10年間をイギリスで過ごし、新しい自分に出会うことが出来ました。
日本では、私はそこそこに活動していますが、もっと世界のギャラリーや美術館で個展を開き、世界的な認知を試みたいです。
一番使用しているカメラです。音や感触など全てが最高のカメラです。現在、このカメラを作るとなると数百万円はするんじゃないでしょうか。
代官山で購入したものです。お店の人と仲良くなり写真をTシャツにして販売してくれたり自分の可能性を広げたラッキーアイテムです。