明治大学第二文学部卒業。『コン・バトラーV』で声優デビュー。現在、自ら仕事をこなしながら養成所「ミツヤプロジェクト」、劇団「アルターエゴ」を主宰。
1 | 2 | 3 | 4 | 5 |
幼少時代から、絵画教室・習字教室・そろばん塾・オルガン教室に通っていましたが、いずれも長続きせず・・・。小学校では合唱部に所属しました。小学4年で名古屋の素人参加のちびっ子のど自慢『どんぐり音楽会』に出場。グランド・チャンピオンに。小学6年の時、自らの意志で名古屋の児童劇団『国際児童劇団』に入団しました。中学1年でNHK名古屋の児童ドラマ『海から来た平太』に出演、1年間主役を務めました。中3〜高3まではNHK名古屋の『中学生群像』(『中学生日記』の前身)にレギュラー出演。中学・高校はほとんど授業に出席できませんでしたね。高校卒業と共に、上京。専門学校『原宿学校』の映像クリエーター科に入学。2年後、明治大学第二文学部英米文学科に入学しました。その頃、演出家・蜷川幸雄氏を紹介され、彼の所属する『舞プロモーション』に所属し、芸能活動を本格的に再開しました。
上京してすぐ、名古屋時代のNHKのディレクターが東京に転勤となり、NHK教育テレビの人形劇『プルル君』という番組に声の出演を依頼されました。その時の共演者が声優の方々だったことがこの道へ進んだきっかけだったと思います。その中の一人、永井一郎さんからテレビアニメ『コンバトラーV』のオーディションを受けるよう紹介していただき、主役としてアニメ声優デビューをしました。その後、次々とアニメの仕事が舞い込むようになり、声優としての道を歩み始めました。
声優の仕事が順調に運んでいた27歳の頃、レギュラーも10本以上抱えていたのですが、上京した目的(演劇・ミュージカル)を思い出し、これでも良いのかと悩むようになりました。周囲を説得し、レギュラーを調整して1か月の休みをもらい、ニューヨークへ行こうと決心。周囲からは苦言を呈されましたが、仕事が無くなる事も覚悟して、ニューヨークへ行きました。そして、ブロードウェイのミュージカルや芝居を観ました。1か月で40本近くを鑑賞し、大変刺激を受けました。帰国し、劇団作りの準備を始めるようになりました。
最初の夢であった稽古場を持つことができたので、できれば小さな劇場を持ちたいと考えています。芝居の脚本は多数書いていますが、小説は書いたことがないので、チャレンジしてみたいですね。趣味でいいので、定期的にライブをしていくことも目標の一つです。
何事もすぐにあきらめないで、頑張って一つの事をやり遂げて欲しいと思います。やりたい事があるのなら、臆せずチャレンジしていってください。
趣味が気学なので、こちらを持ち歩いています。もっぱら、お会いする人に教えてあげるケースが多いですね。
人と会う機会が多いので、エチケットとして気を遣っています。サイズも手頃で、持ち運ぶのに便利です。