九州大学大学院医学系研究科修了後、外務省へ入省。医務官として赴任したスーダンで、目の前で苦しむ現地の人々を助けたい想いから外務省を辞職し単身で医療活動を開始。2006年高校時代のラグビー仲間を中心に特定非営利活動法人ロシナンテスを設立。スーダン共和国、東日本大震災の津波被害を受けた宮城県南部で様々な活動を展開中。
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家の前を小川が流れる谷で、人々が寄り添って生きている集落で地名が「山路」という所に生まれ、幼少時は、祖父母(母方)、父母、姉と同居でした。祖父が貰い受けた不動明王といくつかのお地蔵さんが小さな家の中にあり、畏敬の念を感じながら、その部屋で遊んでいました。小学校は、相撲が好きで、中学はバスケット部、ごく普通の子供でした。高校のラグビー部に入り、先輩から酒を飲まされヘンテコな人生となっていきました。「俺はラグビーしかせん!」と心に決め、通常は春先で部活を辞めるのが慣例になっていたのを三年生の冬まで敢行し全国大会(花園)を目指しました。結果は涙の敗戦、そして大学に行くのに二浪しました。しかし、悔いはしていません。大学でもラグビー部に入りましたが、さすがに医学部ですので勉強はしました。妻は高校の同級生でラグビー部のマネージャーでした。彼女は広島大学に通っていましたので、遠距離恋愛をしていました。
私は、外科医となり、その後大学院に進学したものの、海外に行った経験がなく、大学院修了時に、海外に行きたい一心でタンザニア日本大使館の医務官となりました。一年で日本に戻る予定が、医務官の仕事が面白く、外務省に継続して勤務することにしました。次の赴任地がスーダンでした。そのスーダンは、テロ支援国家と指定され、日本からの援助が停止していました。そのような国への赴任でしたが、聞いていた情報と、実際に来て直接、スーダンの人たちに接しての情報とが、全く違いました。援助停止の中、ハルツーム大学の先生や国連の人たちと視察を重ねました。目の前で苦しむ患者さんを前にして、何もできない自分がいました。そのような体験をする中、アフリカに行くことになってから、知り合うこととなった写真家の方の言葉を思いだすようになりました。「人生における時の流れは、早いものだよ」。私は外務省を辞する決心を徐々に固めていきます。
私が帰国し、偶然に出会った大学の後輩の紹介で、ある写真家の方と知りあえました。時のたつのも忘れ、話し込むこともしばしばでした。それが一晩、二晩と続きます。「家族がいるのに、収入を無くすことになります。金がないと、生きていけません」それに対して、「そうかな」と返答が返ってきます。「大切なことは何か?やらなければならないことは何か?金があって始まることではないだろう」、そんな禅問答のような話をしていく中、まだ小学校だった息子が、この写真家に会いました。私に第三子が生まれた時も、喜んでくれました。そして、妻とも会ってくれました。うちの妻曰く、「想像していた人より、ずっと普通の人で、とっても安心したわ」、こんなやり取りを重ねたのちに、外務省を辞しました。そして、たくさんの協力を得て、再びスーダンに行くときに、私は彼の前で、「こんなに多くの方に協力していただけるなんて」、と涙を流しました。
スーダンで巡回診療を行っていますが、これが継続してできるように、そして範囲が拡大するようにしていきたいです。そして、スーダンに病院を建てたいです。チャリティの機能を持った病院ですが、一部は私立病院化して、日本からの技術指導により高度医療を取り入れようと思います。現在、スーダンの国外で治療を行っているスーダンの人たちをスーダン国内に留めたいのです。また、スーダンのみならず、スーダン国外からも患者の受け入れを行い、地域の安定化を医療で行いたいです。その利益が、巡回診療の支えとなるような仕組み作りをしていきます。また、東北での健康農業を通じて、医の原点を見つめていきます。予防医学を発展させて、笑顔が広がっての、健康需要を伸ばすことを目指します。それを実現するための、ロシナンテスの大きな和を広げていきます。「ひとりは、みんなの為に、みんなはひとりの為に~スーダンに病院を、東北に笑顔を~」
どこかに線が引いてあって、あっちには行ってはいけないと言われています。線があるからでなく、なぜここに線が引かれてあるのか、根本を考える必要があります。線を越えたり、あるいは自分で線を引けたら良いですね。でも、あまり過激だと社会秩序を乱しますね。さて、自分が思っている以上に、他人が思っている以上に、人それぞれに、みんな可能性を秘めています。どんな小さなことでも、他人よりも優れてできること、自分だけ得意とすることがあるはずです。その小さなことに誇りをもって生きて行ったらよいと思います。同時に、他の人の、どんな小さなことでも優れていることがあれば、それを認めることです。そして、手を取り合うことです。今後の人生、いくつもの壁にぶち当たると思います。私も現在、大きな壁にぶち当たっています。悩みは深いです。こんなとき、仲間と手を取り合ってぶち当たっていけば、壁は崩せるものを信じています。「行くぞ!」
故郷北九州の「山路(さんじ)」近くの「猪倉(いのくら)」で、江戸時代に盛んであった小倉織を今に蘇らせている築城則子さん製作です。私の名刺の裏がアラビア語表記で、アラビア語を見たことのない日本の方、特に講演に行った際の生徒さんたちに喜ばれます。小倉織の縞々を見ると子供達の笑顔が思い浮かばれます。
スーダンの道中に関所があり、笑顔のない公安がいます。パスポートを見せると、彼らは少し笑顔になり、通してくれます。事件に巻き込まれて、警察に行ったこともあります。パスポートがないと、進展もありません。スタッフに届けてもらい、何とかなりました。パスポートは、スーダンで私と苦楽をともにしてきた戦友に思えます。