1973年、北海道大学獣医学部卒業後、獣医師・飼育係として旭川市旭山動物園に入る。95年、園長に就任。飼育係が担当の動物について解説する「ワンポイントガイド」、夜行性の動物の行動を見ることができる「夜の動物園」をはじめ、水中トンネルでペンギンの遊泳を見せる「ぺんぎん館」、綱を渡って餌をとりに行く「オランウータン空中運動場」、大迫力のダイビングが目の前で見られる「ほっきょくぐま館」など、新しい斬新なアイディアで動物園のイメージを一新。閉園もささやかれた動物園を復活させる。著書に『生きる意味ってなんだろう?』『「旭山動物園」革命』ほか。
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幼いころから動物が大好きでした。周りにはまだまだ自然が残っていた環境で育ったので、たくさんの動物が自分の身の回りにいました。ただ、見ているだけでは飽き足らず、獲らずにはいられなかったのです。それを止めもせず、咎めもしなかった家族にはとても感謝をしています。
北海道大学に入学したものの、学部専攻に関してはあまり考えていませんでした。専攻別のオリエンテーションに参加した時、外科学教授が馬を手術している現場に遭遇し、「カッコイイ!」と純粋に感動したことを覚えています。もともと動物が好きだったこともあったので、この道で進むべきだと確信しましたね。しかしながら、柔道で鍛えた腕が太すぎて牛の直腸検査をこなすことができず・・・。産業動物獣医への道は呆気なく断たれてしまいました。その時に、目に入ってきたのが大学就職課の掲示版に貼られていた旭山動物園の求人掲示でした。すぐに面接にむかい、晴れて動物園の獣医師兼飼育係としてスタートすることとなりました。
飼育係として勤務する傍ら、繁殖に関する研究を行っていました。飼育と研究に没頭していたため、動物園の経営にはまったく頓着していなかったのが実情でした。しかしながら、係長の御鉢が私に回ってきて、私が動物園の将来を担うことになったのです。これには大変驚きました。もちろん私にとって、研究者としての活動も大切なライフワークだったことは確かなのですが、動物園が廃園してしまっては元も子もありません。黙ってはいられませんでした。研究職の道を断ち、係長としての活動一本に絞った時が私にとって覚悟の瞬間でした。
日本には国立の動物園がありません。自治体レベルでの動物園の経営にはやはり限界があると感じているのが本音です。今の日本社会において、環境の中で犠牲になっているのは、野生動物が棲む世界です。野生動物と人間の住む世界の調和の兼ね合いを調整できるのは、唯一国家なのです。絶滅危惧種の動物が日本にも存在する中で、それを存続させる責任が国家にはあると思っています。これからは、国立動物園の実現に向けて、尽力をしていきたいと考えています。
アカルイ未来を実現するためには、しっかりと過去を見据えることが大切です。過去・現在・未来のベクトルを認識し、より良い未来が描けるよう、みんなで努力をしていきましょう。
ドイツ製の老眼鏡です。かけたり外したりして、亡くしてしまったら嫌なので、特殊な加工のしてある老眼鏡をかけるようになりました。
この動物柄のネクタイは1995年の園長就任以来、集めるようになりましたね。それまではあまりネクタイを締める機会はありませんでしたが、今では100本以上を所持するほどです。