私のカクゴ

ウォーキングドクター デューク更家
でゅーくさらいえ

デューク更家

和歌山県生まれA型
職業:ウォーキングドクター
趣味:読書
座右の銘:常自起 覚悟

ファッションショーの演出およびプロデュース、モデルへのウォーキング指導を手がけた後、間違った歩き方で足を痛めた母親のことをきっかけに、一般向けのウォーキングレッスンを始める。気功や運動生理学、武道、ヨガ、バレエ、ピラティス、呼吸法などの要素を取り入れた独自のエクササイズ「デュークズウォーク」を確立。美と健康、魅力的な女性になるための講座を企業研修やイベント等で展開。各地のホテルでは、軽快なおしゃべりとともにランチまたはディナー トークショーを開催。「最期まで自分の足で生きる人生のよろこび」を提唱すべくデューク更家の代行講師となる、デューク更家公認ウォーキングスタイリストおよびウォーキングパーソナルの育成に力を注ぎ、カルチャースクール、企業研修、イベント等への派遣を行っている。

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来歴

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幼少~学生時代

和歌山県の新宮で生まれました。家庭は貧乏でしたね。ただ母親のしつけはとてもしっかりしたもので、「お前は絶対偉くなるぞ」とずっと言い聞かせられて育ちました。小さいころはけんかっ早く、町中のガキ大将でした。小学校の先生には好かれていた記憶があります。石原裕次郎にあこがれており、将来の夢は俳優でした。中学を卒業して高校ではバスケットに熱中。大学に入ってからはひたすらバイトに明け暮れました。

この道へ進んだきっかけ

Gパン屋で作った借金を返すために掛け持ちでいくつか仕事をしてたころ、メンズメーカーでデザイナーとしても働いていました。そのとき外注で依頼していたファッションショーを見た瞬間、「自分でもできる!」と直感しました。その後ファッションショーの演出家として独立、それがきっかけでウォーキングの世界に入ることとなりました。

ターニングポイント

ウォーキング教室を始めたころ、もちろん苦しい時期もありました。電車賃もなく、2時間歩いて会場に行っていた時に、そこの責任者が自分の「歩き」に惚れ込んでくれ、前金でまとめてお金をくれたことがありました。嬉しくてお酒を飲んで、妻に焼き鳥のお土産を買って、帰りはタクシーで帰りました。行きは電車賃もない男が、帰りはタクシーでお土産まで持って帰る・・・。その時に「これならウォーキング一本でやっていける」と確信しました。

覚悟の瞬間

愛する母が亡くなった時が私にとって覚悟の瞬間と言えると思います。借金も残りわずかになり、旅行でも連れて行こうと思った矢先の出来事でした。母に最期に言われた言葉は「たくや、頑張れよ。お母ちゃんも頑張るから」でした。なぜその言葉を残したのか、初めは意味がわからなかったのですが、それは「あの世にいってもずっと変わらず自分の事を応援してくれる」という意味だと後になって分かったんです。それに気付いた時から俄然、仕事に打ち込むことができました。

今後の目標

歩くことで、人に楽しみを伝えることが私の天命です。デュークズウォークをより多くの人に知ってもらい、「歩くのってこんなにも面白い」と喜んでもらいたいですね。そのために今後は国内問わず海外にも引き続き積極的に発信していきます。

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 JUNKO SHIMADA INTERNATIONAL デザイナー 島田順子

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チアリーダー 柳下容子

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元力士・キャスター 舞の海秀平

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お気に入り

香水

女性ものの香水です。以前は男物の香水をつけていたのですが、その匂いがつくと生徒の旦那さんに「浮気しているんじゃないのか」と生徒が疑われてしまった事が多くあった為、女性ものをつけるようにしています。

プレゼントでいただいた札

薬師寺の総本家よりいただいた札です。「常自起覚悟」(じょうじきかくご)自分のエネルギーを高めておき、目覚めて悟る。これは私の座右の銘です。