1999年よりアメリカに活動舞台を移して映画やテレビなどに出演しながら、ハリウッドのコメディシアターでライブパフォーマンスも行っている。
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自由奔放で変わった子どもでした。小学校の時、将来の夢は「喜劇役者」と書いていました。父を世界で一番尊敬していて、母を世界で一番愛している子どもでした。親から愛情をいっぱい受けて育ちました。大学生の時は1人奇抜な格好をしていて、大学で問題になったことも。それでも授業を1回も休むことなく、最前列の席で授業を受けていたため、個性を認めてもらえました。ハリウッド映画やブリティッシュロックが好きで、留学をした経験もありました。
モデル時代に東京で仕事があると呼ばれ、モデルの仕事をするつもりで行きましたが、実際はAD(アシスタントディレクター)の仕事でした。はじめは驚きましたが、裏方で仕事をする事がとても楽しく、とてもいい経験ができたと思います。この時の経験が今のプロデュースなどの仕事に役立っています。
初めて海外に行った時、現地の人は外国人の自分を見てもなにも反応を示さないのを見て、日本人のことを何も知らないということを知りました。「日本はなんて小さいんだろう、このままではいけない」と思ったことを覚えています。日本の良さをもっと世界に伝えたい・・・と思ったのが世界に飛び出すきっかけとなりました。
アメリカで本格的に仕事を始めたころは大変でした。日本で言うタレント事務所に所属することがまずできませんでした。160件断られ、161件目で所属事務所が決まりました。米ABCの「I Survived A Japanese Game Show」のホスト役に決まったことは1つのターニングポイントになりました。しかし、これはまだ夢の扉が開いただけだと思っています。自分はこれぐらいの仕事ができる人間だと信じてきましたから(笑)
「日本ってかっこいい!日本ってかっこいいよな!!」って思ってもらえるような映画やエンターテイメントを生み出していきたいと思います。
元来わたしはアナログ的な者なので、ハイテク機器にはうといのですが、Gmailやアドレス帳、スケジュールの管理これ一台でやりくりします。これがないとアメリカでは仕事ができないほどです。
米ABCの「I Survived a Japanese Game Show」が1シーズン終わって自分へのご褒美のつもりで購入したショルダータイプのビジネスバッグ。日本で購入するよりも安く買えました。