連続イニング、連続試合フルイニング出場(1492試合)の世界記録保持者。広陵高校、東北福祉大学を経て1991年のドラフトで地元、広島東洋カープに入団。プロ4年目の1995年は開幕スタメン入りし、オールスターに初選出。翌96年の第三戦でMBPを受賞するなど「5番金本」が定着し、球界を代表する選手へと上り詰めた。2003年に阪神タイガースへ移籍。移籍1年目に初優勝を経験、2005年にはチームを2度目の優勝へと導きMVPへ輝いた。数多くの記録を残し「鉄人」としての愛称で親しまれ、惜しまれながら2012年シーズンで引退。
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近所の年上のお兄ちゃん達が広場でやっていたのが野球でした。自然とそこにあったのが野球でした。それが野球との出会いです。同級生が二人、リトルリーグに入って本格的に野球をやり始めたのを見て「いいな」と思って私も入ったのですが、なかなかレギュラーになれず、1年位ですぐ辞めてしまいました。そう、そこで野球とは一度おさらばしようと思ったんです。でもやはり不思議と諦め切れませんでしたね。
その後ソフトボールを始め、軟式野球を経験し転機が訪れたのは中学3年生の頃でした。高校野球の監督がスカウトにきて、「プロの野球選手になれる素質がある」と言われたのは今でもはっきりと憶えています。そこからは一直線で突き進みました。もう、これしかないと。「プロ野球選手になるには」としか考えていない日々を過ごしました。
そして大学野球を経験後、プロ野球広島東洋カープへ入団し、プロの厳しさ、洗礼を受けながら非常に数多くの良い経験をさせてもらいました。私にとっての覚悟の瞬間のひとつは、やはり阪神への移籍ですね。正直、移籍する事で自分にとって有利になることは当時見当たりませんでした。厳しい状況が待ち受けているとしか思えなかったのです。ただ、そこに飛び込みチャレンジした理由は星野監督の存在です。「この人を勝たせてやりたい。」覚悟とは、事前に準備する事だと思います。悪い事は必ず起こります。それに簡単に動じない為に「腹を決めるという事」、それが覚悟です。
私はチャレンジした事で、結果的に良い経験をさせて頂いた。阪神への移籍もそうです。人生どこでどうなるかわかりません。こつこつとやっていった結果、良い野球人生を送れました。自分を見捨てないで、自分に期待をかけて、日本の為に頑張ってください。
コーヒーは必ずこれです。凍る寸前までキンキンに冷やして飲みます。車の中でも、仕事先でも、海外でもどこでも持っていきます。
野球人生の記録がピンズになっています。色々な思い出を振り返れるので気に入っています。