1987年慶應義塾大学法学部政治学科卒業、1989年国際大学国際関係学研究科修士課程修了。1989年9月イラク日本大使館専門調査員、1990年アラブ首長国連邦日本大使館専門調査員、1993年以降は、財団法人中東調査会研究員、外務省国際情報局分析第二課専門分析員、カタール日本大使館専門調査員、ヨルダン、シリアの日本大使館書記官を歴任した。1989年から国際大学中東研究所非常勤研究員を務めたほか、東京大学教養学部、青山学院大学大学院などで非常勤講師、2005年より5年間、防衛省防衛戦略委員会委員を務める。2010年参議院議員初当選、2012年防衛大臣政務官兼内閣府大臣政務官を務める。2019年8月第61代埼玉県知事に就任、現在に至る。著書に「今の中東」がわかる本(三笠書房)。
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人生の三分の一は親のすねをかじりました。そのあとの三分の一は好きな世界を満喫しました。そのような中、イラクで戦争を経験し、友人を数多く失い、不幸に貶められる人たちを目の当たりにし、最後の人生の3分の1は人の命を大切にできる仕事をしたいと強く思いました。その後、中東専門家として数年にわたり防衛庁(当時)の委員になり、防衛の大綱見直し及び評価を行いました。本来は国の安全保障上の憲法であるべき防衛の大綱が結局は、防衛庁の装備品と人数を決めることに主眼が置かれ、省庁を超えた安全保障がすでに出来上がっているにもかかわらず現実に即しておらず、縦割り行政の下で国民の命を守る要請にすら応えられないことを痛感しました。民主党政権ができ、縦割り行政の撤廃を標榜していたため、政治の世界で防衛の大綱見直し議論に参画したいと考え、立候補を決意しました。結果、22大綱において、戦後初めて且つ唯一の我が国の戦略見直し、つまり基盤的防衛力構想から動的防衛力構想への転換を実現させました。
埼玉県は後期高齢者の人口の伸びが日本一、すなわち世界一のスピードで高齢化が急速に進むとされている県であり、将来に向けて県政のかじを大きく切ることが求められています。そのためには、街づくり、DX化等の変革により、高齢者や子供の見守り、インフラの老朽化、交通・買い物難民救済、生産性の向上と働き方改革等を実現していかなければなりません。そのためには、足元の直近の課題と将来の課題の双方に取り組まないと手遅れになります。他方、知事に就任して以降は、豚熱、台風19号、新型コロナウイルス感染症と、やりたいことよりもやらなければならないこと、特に危機管理に追われました。知事としては、適切な情報の収集と決断、そして実行力が必要で、そのために関係部局に対しては、準備と想像力を求め、日々、そのための体制づくりを求めてきました。このような中、新型コロナウイルス感染症対策については、パフォーマンスに陥ることのない戦術的対応を構築してきています。
行政において政治家と官僚の最大の差は責任と考えています。県民に対して行政施策の直接責任を取るべきは政治家であり、官僚ではありません。それを自らに言い聞かせると共に官僚にも全力で業務を推進してもらうためにも、しばしばこの覚悟を口にしてきました。これまでにも、銃を突き付けられ、狙撃の脅しがある中で仕事をし、至近に迫撃弾が落ちる等の経験をしてきましたが、覚悟とは、その目的に向かい腹をくくって一歩でも前進させる気持ちだと考えています。前進を試みる際に背負うものが大きければ大きいほど、後に引くことはできません。そのために可能な限り万全の準備をし、情報を収集して臨む必要があります。そのためにエネルギーを使うことから覚悟は始まる。県民の未来を背負って、蛮勇と覚悟を取り違えるわけにはいきません。
戦争時に私の上司が色紙に座右の銘を書いてくれました。その言葉が”忙中閑あり”。つまり「忙しい中でも少しの暇がある」ということです。当時は戦争中で人の命がかかっているため、24時間仕事をしていました。そういった状況下だからこそ、仕事以外のことを考える余裕を人に与えてくれる凄さを感じました。忙しい中でもそのような想いを持って上司が私に対して気を使ってくれたということはとても嬉しかったです。些細なことですが、とても大事なことだと思います。
今は新型コロナウイルス感染症対策に万全を期すことが最大限の課題です。未来の埼玉県に向けては、コンパクトでスマートでレジリエントな街づくりを推進し、生産性と共生を両立させた誰にも居場所がある新たな埼玉県を作るために一歩でも前進します。また、県民への税負担を軽減するためにも積極的なDX化を推進します。さらには、実行部隊を欠く県において実効的な危機管理体制を敷くための、有事に多様な主体を円滑に連結させる仕組みを作り上げると同時に、ソフト・ハード両面の災害対策を進めることにより安心・安全な埼玉県を作り上げていきます。
苦難に直面し克服した経験は絶対に忘れることはないと思います。自分の前にある壁は、遠くから見ると高い壁に見えるかもしれないですが、そばまで行くと階段があるかもしれません。自分の身になる苦労を乗り越えるための努力を自分でしてみて下さい。
湾岸危機の際、重大な責任と家族の命を心配しながらも倒れることすら許されない激務が続いたが、その際に大使が館員に送った言葉が「忙中閑」で、おかげで一息ついて生き返った気がしました。繁忙期に組織を鼓舞することしか考えない責任者にはならないと、今もこの額を見ながら自戒しています。
腰痛を和らげてくれているので重宝しています。