日本大学医学部卒業. 総合内科専門医、循環器専門医.日本人初の国際山岳医を英国で取得. 日本人唯一Wilderness Medical Society のFellow.2010年、登山外来を北海道大野記念病院に新設、山岳医療救助機構の前身を立ち上げ、山岳医療情報の発信と普及を行う. 2010年北米最高峰マッキンリー(6190m)登頂(山頂よりスキー滑降),2013年マナスル(8156m)チームドクターとして登頂、2018年チョモランマ(8848m)登頂. 三浦雄一郎氏遠征チームドクター
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一つは、ヒマラヤトレッキングで、重症高山病の登山者に遭遇し、科学的根拠に基づいた山の医療を学びたいと思い、イギリスに山岳医療、アメリカに野外医療の勉強に行きました。2つ目は、北海道警察山岳遭難救助隊との出会いにより、救助への医療貢献の遅れを実感したことです。この2つは、私の目指すべきハードルを高めました。興味を持って学んできたこと、それを社会に還元して行くというビジョンを持って進んできたことが、現在の道にいざなってくれたと思います。
日本で初めての山岳医は、待っていても仕事は来ません。自分で道をつくることをしてきました。これには、良き指導者や志ある方々との出会いが、大きな支えとなりました。山岳医療は小さな分野ですが、社会のためになることであれば、継続していくことが大事であると信じ、積み上げてきました。例えば、低体温症の病院前治療を大きく変え、助かる命を救えて来たことは、とても嬉しくやりがいがあります。山で医療を担うのは、医療者よりも、登山者や救助隊であることが多いことから、現場にいる人の自助能力を高めることが山岳遭難を減らしていくことにつながるという認知も高まってきました。現在、登山者一人や遭難者一人を救うことも大事にしながら、さらに山岳医療をリーディングするという立場に自らの意志で立ち、社会全体の利益になるよう、山岳医療が役立つ道を築いています。
人の人生を左右する判断を私が下した時です。2019年、三浦雄一郎さんにアコンカグアでドクターストップをかけたとき、2013年エベレストのキャンプ2からヘリコプター下山を判断した時を思い出します。この時の私の覚悟は、譲れないものがありました。これは、死を回避する決断ですので、ドクターストップの判断は間違いも迷いもありませんでしたが、三浦さんの冒険家としての挑戦の中で、決断を受け入れていただいたおかげで生還でき、感謝しています。
社会の通念や評価には、あまり捕らわれずに、自分の価値観で判断できる人です。社会の中で、自分のしたいことができるということ、やりたいことができるポジションにいること、そういう環境を作っていくことは、とてもバイタリティーが要りますが、魅力的で、カッコイイです。
山岳医療の調査研究を一層進め、その実態に沿って必要のない救助を減らし、山で命を落とす人を減らすよう、医療面から貢献することです。また、山岳医療の知識は、山岳環境以外でも役に立ちますので、多くの人や他の分野にも寄与できるよう発信を続けたいと思います。とてもやりがいのある仕事ですので、次の世代に道を作り、若い人材が育って行ける環境を残して行きたいです。プライベートでは、まだまだ登りたい山があるので、目指す山へ挑戦していきます。
私がこの道を進むことを決めたのは40歳になってからです。私はこれまで、好きなことも、そうでないことも、目の前にあることを一生懸命やってきました。 自分がしたいことは何だろう、自分はどういうことが好きなんだろうということはよくわからないものですが、無意識の選択のなかで、自分の向き不向きを見極めてきたように思います。これは自分の資質を大事することです。若い時には、自分に何が向いているか、すぐには分からないし見つからないこともあります。自分の能力や才能を、若い時には決めつけず、目の前にあることを一生懸命やってみてください。自分の可能性を信じて、模索してみてください。自分の才能を生かす道に、いざなわれると思います。
2012年の遠征から使用している。アウトドアだけでなく、日常でも。目に優しいレンズで、これを使用してから、ストレスがなくなりました。ファッションとしても気に入っています。
(黒)医学博士の記念に、弟からもらった万年筆。(赤)山岳医の仕事の節目に、家族からもらったボールペン。応援してくれる人がいることを思い出す、お守りの存在です。