医療法人社団桜医会 菅野医院分院 院長 菅野寛也
すがのひろや

菅野寛也

静岡県生まれO型
職業:医療法人社団桜医会 菅野医院分院 院長
趣味:野球、飛行機
座右の銘:一念具象

昭和27年4月 日本大学医学部入学、昭和33年3月 卒業。昭和41年4月 沼津市立病院内科医長。昭和46年4月静岡市立静岡病院内科医長。昭和51年4月 菅野医院分院 人口腎臓センター開設。現在に至る。

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来歴

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なぜ今の仕事に?

天職だと思います。先祖代々医者でした。幼少期から、将来頑張って医者にならなくてはいけないのかなあ、医者になりたいなあとずっと思っていました。いざ医者になろうとするとやはり大変で、入試も難しく、入ってからも大変です。ただ、改めて今振り返ってみるとその辛さが自分を支えてくれていて、そして自分にプライドを与えてくれたと思います。「ドクター」と呼ばれるのは嬉しいですし、医者になってよかったと思っています。何より人と人との付き合いができること、そして医者として信頼されることにやりがいを感じています。

現在の仕事への想い

自分自身も患者さんからたくさんのことを教わっています。特に医者は他の職業では味わえないことが多いです。一人一人の患者さんからの教訓は自分の糧になっていますし、生まれ変わっても医者になりたいと思っています。

あなたにとって覚悟とは

1991年夏、非公式ではありましたが坂井三郎さんとご一緒に真珠湾を訪れました。開戦50周年の年だったので特にアメリカ側も意識し緊張していたのかもしれませんが、非常に厳しい雰囲気で「日本人」は特別な眼で見られたことを覚えております。「これではいかん!!私は日本でアメリカ兵の慰霊祭をやっている事をアメリカ人に知らせ国際親善の扉を開かなければいけない。」と強く思いました。極端に言えば日本を背負って立っているような覚悟でした。私が静岡で日米合同慰霊祭を行うようになった時、「これは敵味方関係なく治療にあたった祖父の教えだ」と感じていました。自分が変えて行かなければならないという覚悟を持って、12月に単身、真珠湾を訪問しました。たった一人で始めた慰霊祭は、たくさんの方に理解して頂き、現在も当時の両軍の兵士たちの慰霊を行なっています。

カッコイイ大人とは?

長嶋茂雄さん。彼はとても人が好きな人です。私もかっこよくなりたいと思っていますが、意識しすぎるとよくないのでなるべく自然体でいるようにしています。私も彼と同じで人が好きなんです。医者は人と人とが関わる仕事ですから、人が嫌いになったら医者はできません。

今後の展望

「平和」という言葉だけが先行しても平和はきません。戦った国同士がお互いの犠牲者を慰霊鎮魂することによって相互理解や誤解をなくすことができると思います。平和だ、和解だという前にやるべき行動があると思います。慰霊祭だけではないですが、私は慰霊鎮魂ということをやってきて今まで憎しみ合っていた人たちが和解し、親交を深めてきたと思っております。平和という言葉だけを先行させるのではなく、何か行動をした上で初めて平和や和解が生まれると思います。

若者へのメッセージ

これからの日本は色々あると思いますが世界で一番いい国だと思います。そのプライドを持って若い方々には頑張ってもらいたいと思います。

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お気に入り

ネクタイ、カフス、タイピン

ネクタイは航空自衛隊、初代ブルーインパルス引退の時のもので、カフスとタイピンのセットは坂井三郎さんから直接頂いたもので零戦搭乗委員会の発足当時は記念に作ったものです。セットはなかなかないので大切にしています。ゴールドのタイピンは他に数名しか持っていない大変貴重なものです。

第13代米国海軍太平洋軍へイズ大将の退役記念メダル

アメリカ太平洋軍のロナルド・ヘイズ大将が退役するときに特別に頂いたもの。特別な人にしか渡せないもので4スターは一般人に渡すことはなかなかない貴重なものです。