覚悟の瞬間(とき)

有限会社 八幡工業 代表取締役社長 八幡俊昭
やわたとしあき

八幡俊昭

新潟県生まれO型
職業:有限会社 八幡工業 代表取締役社長
趣味:山登り、マラソン、ゴルフ、カラオケ
座右の銘:継続は力なり

新潟の県立中学を卒業後、4歳年上の兄が左官の仕事に従事していることから親に左官の仕事を勧められる。
同地域で5年間の仕事を経て、もっと腕を磨くため20歳で上京。
26歳の時、独立し「有限会社 八幡左官工業所」設立。
5年後に中央職業能力開発協会主催「一級技能士全国技能競技大会」にて、念願の第一位を獲得。
1991年、有限会社 八幡工業へ社名変更。息子も後継者として加わり、現在社員数20名体制で活動。
左官一級技能士、職業訓練指導員、ものづくりマイスター、職長・安全衛生責任者、登録基幹技能士

オフィシャルサイト

来歴

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なぜ今の仕事に?

子供の頃は体育の先生か映画のチャンバラ俳優になりたかった。勉強が苦手、運動は得意でしたが、器械体操のやりすぎで中学2年で急性肝炎になり夢はあきらめました。左官の仕事に就いたのは4歳年上の兄の影響、家が貧乏だったので働いてお金を稼ぎ家計を助けてあげたいというハングリーな強い思いでした。

現在の仕事への想い

大切なことは、とにかくまじめに左官仕事をして、きれいな壁や床をお客さまに提供すること。「お客様が喜ぶと、必ず次の仕事が入ってくる」と信じて、身を粉にして腕一本で頑張ってきました。そして、部下や職人には 「人にやさしく、自分に厳しく」 と伝えています。

あなたにとって覚悟とは

26歳で独立した時。20歳で新潟から上京して墨田区の左官の親方に弟子入りをし、住み込みの修行時代は小遣いもなかったので3年目くらいかけて腕を上げ何としても自分で稼げるように数年かけて独立の計画をすすめていきました。目標は腕利きの職人である兄といっしょに、新潟の実家を建て替える夢。(30歳の頃かなえました)

カッコイイ大人とは?

手本にしたいと思ったのは校長先生、教頭先生。40歳で子供の中学校のPTAの会長を頼まれました。それまで人前で話すことなど苦手な自分だったが、これは自分の人間性を磨く良い機会になると思いお受けしました。仕事とはちがう世界で様々な人たちと接して学んだことは「人の悪口をいわない」「口が堅いこと」「礼儀正しい作法」。やんちゃな一職人から社会人、経営者となるための礎を築き、地域の青少年の委員、消防団の活動と幅を広げました。そして50代で保護司となり、更生して社会復帰する方々の手助けを今現在も行なっています。

今後に向かって

魅力ある「左官の仕事」を後世に伝えていきたいです。50年間かけ自分が培ってきた左官の技能のすべて、人間性を育む作法も含めて若い人に伝えていきたいです。ライフワークとして「100名山登頂」を75歳までに達成するのが目標。現在30山。山登りの仲間で「100名山登頂」を果たしているひとが5人いるので自分も頑張ります。

若者へのメッセージ

今の若者はしんぼうが足りないと思います。仕事についても1年から2年ですぐにやめてしまうので、これでは何も身に付きません。自分が決めた以上はいっぱしの職人になるまでは何があっても食らいついていく意気込みが大事。辛いこと、苦しいことから逃げていては将来の幸せな人生にたどり着かない。とにかく若いときは額に汗してがむしゃらに働いたり勉強することで、心も体も鍛えられる。「磨かれて磨かれてピカピカのきれいな鉄の玉となる」

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お気に入り

鏝絵用の左官鏝 (こて)

仕事の塗り壁道具。八幡社長の趣味・「鏝絵」(こてえ) を制作するための専用道具です。特徴は刃渡り1センチに満たない非常に小さな鏝で、細密な作業に用いるために特別に作ってもらった一品です。通常の塗り壁作業で使う鏝は20㎝以上のサイズが主流なのでいかに小さいかがおわかりでしょう。鏝絵とは、左官職人が鏝で漆喰(しっくい)を使い絵を描いたもので、漆喰装飾の一技法で、歴史は古く高松塚古墳、法隆寺の金堂の壁画にもあります。一般的には江戸中期に始まり、伊豆松崎町の左官、入江長八が大成させたことで全国にに広まったといわれています。

リュックサック

山登りの相棒です。ライフワークとして「100名山登頂」を75歳までに達成するのが目標で、現在30山登頂済み。このリュックに山登りの道具を詰めて、いくつもの山を登りました。