覚悟の瞬間(とき)

柔道家 古賀稔彦
こがとしひこ

古賀稔彦

佐賀県生まれA型
職業:柔道家
趣味:映画鑑賞
座右の銘:見えない自分に挑戦する

1992年バルセロナオリンピック柔道男子71kg級金メダリスト。現在は、環太平洋大学体育学部教授兼女子柔道部総監督、古賀塾塾長、全日本柔道連盟女子強化委員、弘前大学大学院医学研究科博士課程在学中。日本健康医療専門学校校長。

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来歴

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幼少~学生時代

今からは想像できないと思いますが、私は非常に病弱な子供でした。気管支が弱く、年中病院通い。ちょっとのことですぐ熱を出し、寝込んでしまうような子供でした。

スポーツを始めたきっかけ

私が柔道を始めたキッカケは、いつも一緒に遊んでいた近所の子供達が先に柔道を習い始めたという単純なものでした。兄と私、そして近所の友だち四、五人でいつも遊んでいたのですが、自転車で15分から20分ぐらい行ったところにあった町の道場に彼らが先に入門しました。夕方いつものように遊んでいると、その友だちたちが「じゃ、俺達は柔道があるから」と帰ってしまうのです。私と兄だけがその場に取り残される感じになる。自分たちも柔道を始めればもっとその友だちと一緒にいられる、遊んでいられると考えました。「練習が始まるまではみんな遊んでるって、じゃあ俺達も道場へ行って遊ぼうか」という単純な遊び感覚だったと思います。

印象に残っているエピソード・ターニングポイント

中学生、高校生時代は親元を離れ東京都世田谷区駒沢にある講道学舎で生活を送ることになりました。そこは例えると全寮制の柔道家養成機関といった感じのものでした。私がこの学舎に入るキッカケとなったのは兄が先に学舎に進んだことでした。既に九州地区では注目される選手となっていた兄が出場する大会に、同学舎の関係者が次に入舎してくる兄を見に来ていました。当時、四年生だった私も同じ大会に出場していました。試合を見学した後、「兄貴もいいが、弟の方が俺はいいと思う」とその関係者から声をかけられました。そこで吉村先生に出会い、この吉村先生と出会わなければ、はたしてオリンピック金メダルまで続いていたかとまで思います。現在もよく思う事ですが、私は実にいいタイミングで、最高のいい人物と出会ってこれたと感じています。自分にとって最大の運のよさとは、この人との出会いであったと感じます。

覚悟の瞬間

アトランタオリンピックの時、怪我をしていて、万全ではない状況の中で、気力だけの勝負だと思って試合に臨みました。決勝戦に進み、開始から2分後に圧倒的に有利な立場になり、「これで優勝できるな。あとは守ってればいい」と思った事で、緊張感が切れてしまいました。結局判定負けしてしまい、物凄く悔いの残る試合になり、自分に対して非常に腹立しく感じました。周囲からは「この試合が終わったら、引退してもいいのでは?」と言われていたのですが、私は「試合の中で悔いは残したくない。試合場で残した悔いは試合場で克服してやろう」という気持ちがあったので、シドニーオリンピックで金メダルを取る事を目標にしました。そこが覚悟の瞬間です。

今後の目標

一生、柔道にかかわっていくことです。また、苦戦の目立つ日本の「お家芸」柔道の復活のために町道場を強くする事。

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