覚悟の瞬間(とき)

芦屋三戸岡クリニック 院長 三戸岡英樹
みとおかひでき

三戸岡英樹

岡山県生まれB型
職業:芦屋三戸岡クリニック 院長
趣味:六甲の山歩き、モダンジャズ、映画、読書
座右の銘:赤子のような目で見る

2006年芦屋三戸岡クリニックを全国でもめずらしい自由診療のみの消化器内視鏡専門クリニックとして兵庫県芦屋市に開院。培ってきた内視鏡医としての技術を生かし、内視鏡検査・治療に取り組んでいる。特に日帰り手術には力を注いでおり可能な限り外来での早期胃癌、早期大腸癌の内視鏡治療に挑んでいる。海外での多数の招待講演、Live demonstrationを経験。日本を代表する消化器内視鏡医の一人。2009年医療法人社団芦屋三戸岡クリニック設立。3期連続(2006~2011)Best Doctors in Japanに選ばれる。

オフィシャルサイト

来歴

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幼少~学生時代

開業医の長男として生まれ、岡山市郊外の田舎で自然に親しみながら育ちました。岡山一の進学校である岡山朝日高校に入学後は成績は真ん中あたりで、ビートルズ~ボサノバ~モダンジャズに夢中になりました。現役での医学部受験に失敗し、2年浪人し神戸大学医学部に入学。せっかく医学部に入学したのですが、6年間ずっと5月病でモダンジャズに入り浸り、やっと卒業できたのですが、国家試験は半年遅れて合格する結果となりました。国家試験合格後も医者になって良かったのかどうか自問自答していたことを覚えています。

この道へ進んだきっかけ

開業医の父の背中を眺めながら、医師が人のためになる職業であることを教えられ、両親からは何も言われなかったが医師になる道を志していましたね。父親の口癖は「一芸に秀でよ」。浪人は2年と決めていたので医学部に入学できなかったら、違う意味で人のためになる牧師になろうと思っていました。当時も今も心の平穏を得る最もよい方法は人のためになることをすることであると思っています。

ターニングポイント

国家試験合格後、父の後を継ぐことのできる内科に入局しました。しかしながら、内科診療は肌に合わず、将来やっていけるかどうか迷っていました。自分が医師として人のためになることをより実感できる分野で働きたいと思い、大学病院での研修終了後は研修医として須磨赤十字病院に入職しました。須磨赤十字病院を選んだ理由は、そこで研修した先輩たちが特に頼もしかったためです。そこで消化器内視鏡に出会うこととなります。人体に対して最小の負担で最大の利益が得られる分野であり、その後まっしぐらこの分野を突き進むようになりました。

覚悟の瞬間

神戸海岸病院で勤務して8年経ったころ、乞われて神戸海星病院に行くことになりました。特に質にこだわった内視鏡診療を実践している内に患者様の数が増え、夜10~11時まで内視鏡を行っているにもかかわらず、検査待ちが2~3か月出るようになりました。初診から2~3か月お待たせしての検査では手遅れになる患者様も出てくるようになり、自分が行っている医療にジレンマを感じるようになりました。一所懸命患者様を診れば診るほど自分がやりたい診療はできなくなってゆく・・・。そのジレンマに頭を悩ませながら、自分がやりたいことは目の前の患者様に自分のできうる最良の内視鏡医療をタイムリーに提供することであり、現状の持続ではその実現は不可能と確信し、自由診療のみの内視鏡専門クリニックの開院を決断しました。これが私の覚悟の瞬間です。

今後の目標

現代は2人に1人が癌になり、3人に1人が癌で亡くなる時代です。消化管の癌は早く見つければ、臓器を切除することなしに内視鏡で内側から切除するだけで完治可能であり、術後の弊害がまったくありません。苦痛の少ない内視鏡検査・治療を続けるとともに初期癌の日帰り治療をさらに広め、癌になっても症状の出ない初期にみつければまったく苦痛無しに日帰りで完治できることを啓蒙し、結果的に内視鏡を受けられる患者様の数が増え、少しでも多くの患者様を助けることに寄与していきたいですね。

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約30年前に香港で購入しました。以後ずっと一緒に人生を歩んでおり、色褪せることもなく、正確に時を刻んでいます。

CD

学生時代にモダンジャズに入り浸っていた頃、最も印象に残る1枚。モダンジャズがハード・バップからフリージャズに移行する時期のシュールな演奏。奇抜な音の積み重ねなのに、親しみやすく、優しい音色です。