栃木工業高校卒業後、有限会社小林製作所に入社。その後25歳で中国や国内で企画、製造のお手伝いを株式会社ケイプ設立。その後、30歳の時に農産物直売所の運営に携わり34歳で株式会社サンケイ(みぶストロベリーファーム)を地元で立ち上げる。その後、本業である製造業に立ち返りM&Aを行い、金属加工工場有限会社マイスターを取得。現在は、4つの会社を経営しており地域との連携も盛んに行う。
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私が、高校卒業してアルバイト程度に父親の会社の手伝いをしていました。アルバイトを始めてちょうど1年位の時、父親に癌が発見されました。その癌は喉頭癌という病気で発覚したときには、ステージ4と宣告され深刻な状況でした。すぐに入院しなくてはいけない状況になり、当時お手伝いから責任者不在となったため急遽社長代理を務めなければならない状況になり今の仕事と向き合うこととなりました。
現在の仕事においてはとことん楽しむことを常に意識しています。つまらなそうな顔して仕事をしてはダメです。同じ時間に同じ仕事をすることになった時、どこをモチベーションにして仕事をするのか、「遊び」をしているような感覚で仕事をやろうと心がけています。
父親から会社を事業承継をする際に、父親は事業承継に否定的でした。そこから承継の思いがある私と、承継させたくない父親との闘いが始まりました。気づくとその期間は3年間にも及びました。その時、私は覚悟を決めて最後の闘いに挑みました。その際に、自分の成長を得られたと思います。
絶対に弱い者いじめをせず、強いものに立ち向かっていくような人がカッコイイ大人だと思ってます。そのかっこいい大人であれば子供たちに対して何も言わなくても、ちゃんとその姿をみて大事なことをわかってくれるはずです。
僕が住んでいる栃木県壬生町という地域を盛り上げながら会社も家庭も守りつつ、すべての関わりのある人たちを守るためにはどうすればいいか、そこが課題です。現状が良くてもそれが維持できるかどうか難しいので、いまよりもステップアップして事業を発展させていきたいと思います!会社が大きくなれば雇用が生まれて、地域に価値を還元できると思っています。小さい頃は勝手に住んでいるだけだと思っていたが、子どもが生まれてから考えが変わり、地域や町を大人が大事に育てないとダメになってしまうと気付きました。自分自身もっと力をつけて今できない事をできるようにしていくのが目標です。
若い人たちには、是非、良いことも悪いことも率先して色んなチャレンジしていって欲しいと思っています。良いことも悪いことも全部経験して、「どういう大人になりたいか」という明確なビジョンをもってやっていって欲しいです。
新しい事業をやった際に、普段からお世話になっている宇都宮のショップ『マーキュリー』のオーナーが用意してくれた思い出の靴です。今回で2足目になります。
カードが縦に入る変わったデザインで非常に使いやすいです。