おきた内科クリニック 院長 沖田英明
おきたひであき

沖田英明

広島県生まれ
職業:おきた内科クリニック 院長
趣味:ゴルフ
座右の銘:初心忘るべからず。人生にいくつもの初心有。

明治鍼灸短期大学鍼灸学科卒業(3年制、現 明治国際医療大学)
富山医科薬科大学医学部卒業(現 富山大学医学部)
日本老年医学会 老年病専門医、日本内科学会 認定内科医、日本消化器内視鏡学会 消化器内視鏡専門医、日本リウマチ財団リウマチ登録医、日本糖尿病協会療養指導医、認知症サポ-ト医、広島県医師会認定かかりつけ医

オフィシャルサイト

来歴

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なぜ今の仕事に?

還暦を迎えた今、鍼灸師、医師として働いていますが、一体、人生に何が起こってこんなことになったのか、何を覚悟したのか振り返ってみようと思いました。子供の時から、医師になりたいと思ったことは一度もありませんでした。偶然の境遇に接して、その都度、飛び込んでいった結果、今の開業医という職業に行きつきました。高校3年時ころだと思いますが、進路については、漠然と物理学の方面に行きたいと希望していました。父は、「背が低い、声も小さいから押しが効かない」ので、「会社に入ってもエエことにはならんで」、とよく言っていました。自分の意見を押し通さんことには生きていく面白味がない、といいながら、手に職をつけた方がいいのでは、とも言っていました。当時は聞き流していたのですが、今では、ひしひしとその重みを体現しています。ちょうどその頃です。1979年米中国交正常化がありましたが、その前の昭和48年1971年キッシンジャ-補佐官が訪中します。米中国交正常化にあたり、世論を盛り上げるための話題作りをNYタイムズのレストン記者に相談しました。この結果鍼麻酔が扇動的に取り上げられました。それ以後、鍼麻酔の話題、中医学をはじめ、東洋医学の話題がマスメディアを賑わしていました。“東洋医学ブーム”“中国医学ブ-ム”といった感すらあったように思います。その当時、学校の帰り道にたまたま立ち寄った書店に積み上げられた雑誌「中央公論」を手に取りました。当時の日本医師会会長の武見太郎先生の対談記事がありました。医療全般の話があり、最後の方で“東洋医学ブーム”に言及し、“西洋医学と東洋医学は車の両輪のように”というくだりがあったように記憶しています。こういう時に、地元の中国新聞がテ-ブルの上においてあったのですが、一面の一角に、明治鍼灸短期大学の募集広告を目にしたのです。日本で唯一とあったように記憶しています。鍼麻酔を起爆としたいわば“東洋医学ブーム”のようなものがあり、医師会の会長までもが“西洋医学と東洋医学は車の両輪のように”と言っているぞ、とそこにこの広告です。新しい分野が開けているのかな、手に職をつけることができるのかな、という考えから、すぐに入試要綱取り寄せのため、電話しました。まだ、世のため人のためというより、何か新しい世界が始まるのではないか、今飛び込むチャンスではないかと思っていたように記憶しています。入学時は短大ですが、4年生大学になり編入して明治鍼灸大学として卒業できます、としきりにアピ-ルされていました。時代の雰囲気を感じて、偶然見かけた広告記事から、未知の領域の東洋医学にと飛び込むことに覚悟を決め、手に職をつけるための進学を考えたわけです。昭和54年(1977年)に2期生として入学しました。残念なことに、医師会の反対があり、4年生大学になることができませんでしたが、これを生業として生活していこうと思っていたことは今でも覚えています。現在は大学院もでき鍼灸学博士もあります。新大阪に住み、鍼灸、リハビリの仕事に従事しました。延べにすると2万人弱くらいの患者の体に触れてリハビリをしてきました。結構、今でも自信がるのですが、内科医のくせに何を言っているのという眼で見られている感じがします。あるとき、新大阪にあるビルの1階の洋食屋で食事をしていたのですが、“社会人のための大学受験”という看板の文言が目に入ったのです。こんなものまであるのかと思っていたその日の夜のテレビで富山医科薬科大学に国立の大学病院ではじめて和漢薬診療を立ち上げたというニュ-スを見たのです。先ほどの予備校のキャッチコピ-が頭に浮かんだのです。翌日予備校に問い合わせると、あなたのような方多いです、とのことでした。鍼灸の限界を感じ始めたときに、和漢薬も併用すれば、充実した東洋医学的治療ができるのではないかと考えたわけです。午前中は鍼灸、リハビリに従事し、平日夜9時までと土日予備校通いの生活が始まりました。自分ではじめから医学部に行こうとは思ってもみなかったのですが、流れというか、めぐりあわせというか、局面局面では覚悟して決断はしているのですが、きっかけは、偶然というかめぐりあわせのような気がしています。富山医科薬科大学医学部に入学し、卒業しました。

現在の仕事への想い

相手にとって良いことをこちらからできるだけのことをするに尽きます。相手にとって一番良いことは何かと常に問い続ける。正しい診断と治療ができれば、次に人情。相手に寄り添い、相手の感情と共感、共鳴できるようにする。人情のみが先行しても相手のためにならない、やれることをやってこそ、人に寄り添える。そういう医療人になりたいと思いますが、相手のあることで、“うーん”と反省する日々です。

あなたにとって覚悟とは

普通の進学ル-トと大きく外れた職業教育でもある鍼灸大学に進学する。もう定職に就いていたのに医学部に再入学する。大学を辞めて全く違う地に落下傘開業する。今まで少なくとも3回はあったように思います。さあこれからどうなるか、飛び込む感じ。武者震いもありました。ホントにあるのだ、と実感しました。吉か凶かどうなるかわからないが、失敗しても受け入れる気持ち。

カッコイイ大人とは?

カッコイイことをカッコヨク言える大人。時代の変革のきっかけを作った人。誠実に日々生活を営める人です。

今後に向かって

専門科を標ぼうして中途半端になるより、専門については基幹病院での検査治療が最適と思っています。患者にとって最良となる「かかりつけ医」として診療活動を日々行っていく。安心、安全の体制の整った医院づくり。医院の玄関を出ていくときに、玄関を入ったときより、気持ちよく家路につくことができる医院づくり。なんたって健康が一番となるよう「かかりつけ医」として対応する。当院に通院する患者は他医より元気で長生きしている、とうわさされるような「かかりつけ医」を目指す。日本では、「平均寿命」と「健康寿命」の差は約10年と言われています。人生最後の10年を、自分にとって最高だと思える10年とするために、将来の状況を想像しながら、現在の生活習慣に由来する病気に対応していく医院づくり。なんか、あそこの内科に通院中の患者の平均寿命は長いんじゃない、とうわさされるような取り組みをしていく。東洋医学と西洋医学のいいところを融合した医療を実践していきたい。
*「健康上の問題で日常生活が制限されることなく生活できる期間」と定義されています。

若者へのメッセージ

私の時と時代が違います。クラウド上にあげられた教科書や過去問で勉強する時代です。部厚い教科書なんてない時代です。子供たちは、どこの科に行こうかと悩んで、どこがいいとか聞いてきます。苦痛なく勉強できた科目は?臨床実習で楽しいと感じたのどの科?将来、収入がいいとか楽にできるとかで決めるのでなく、一生の仕事になるから、やりたいと思うことをやるのが、馬力も出て、いいのではと思います。

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