1999年日本大学法学部卒業。1999年株式会社サキコーポレーション入社。エレクトロニクス業界の検査ロボットのメーカーとして国内海外営業、商品開発部を経て、中国市場、北米シリコンバレーに駐在し、中南米ビジネスを長く経験。在職中にビジネスブレークスルー大学経営学科も卒業。北米駐在時は故稲盛和夫氏の私塾盛和塾シリコンバレー塾の事務局長も担当。2020年から栃木に戻り現職で、ゴルフ練習場ビジネスを行う傍ら、個人事業主としてエレクトロニクス業界でも休みなく働きつつ、育児に奮闘する毎日を過ごしている。
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1980年代の高度成長期に勃興したゴルフブームをきっかけに、父が不動産業のサイドビジネスとしてゴルフ練習場を創業しました。不動産業は景気の影響を受けやすいですが、ゴルフ練習場は日銭商売かつ現金取引のため、大きな利益は出なくとも安定した収益が見込めると考えたようです。バブル崩壊後は母が約30年間経営していましたが、高齢化に伴い、2020年に私が承継しました。当時はアメリカ・サンノゼに住んでいましたが、コロナ禍を機に家族と栃木へ戻り、事業に携わることになりました。現在は個人事業主としてエレクトロニクスの営業を続けながら、ゴルフ練習場の運営も行っています。小さな子供もおり、消防団にも所属しているため、毎日忙しく過ごしています。
叶えられる希望ならば何とか実現させてあげたいという思いを持って、お客様に対して接しております。お客様はあまり本音というのは言わないもので、お客様とのコミュニケーションを通じて、どのような改善が必要なのかを日々考えながら行なっています。また、ゴルフ練習場は年末年始も休まず年中無休で営業させていますので、とにかく毎日仕事が無事に開始でき終われるよう、天候と相談しながら安全面には最大限に注意して営業しています。
今思うと、長男がアメリカで生まれたことをきっかけに、2020年にアメリカから栃木に戻ってきたことが最大の覚悟だったと思います。その当時アメリカではGAFAをはじめとする輝かしいIT企業が立ち並ぶシリコンバレーにいたのですが、家業承継をしなければならないことや、その頃生まれた長男の出産でかかった費用が諸々で1300万円かかり、ここでは生きていけないな、と感じました。ちょうどその頃コロナが大流行し始めたというきっかけもあって、その時に勤めていた会社を退職し、故郷である栃木に帰ってきた時が一番の覚悟だったような気がします。事業承継や個人事業の立ち上げ、生活基盤の変化など様々なことがありました。その1年後に父が他界したので、最後に一緒にいられてよかったかなと思っています。
「有言実行できる人」というのが一番私的には信用できる方だと思っています。いくら言っていてもできない、やらない人ということだけではなく、有言実行。言ったことはきちんと実行する。また実行するだけではなく、自分の習慣にまで出来るやり切れる大人が素晴らしいなと思っています。
栃木市は「ゴルフ王国」とも称され、全国有数のゴルフ場密集地として知られています。2023年4月時点で栃木県内には約120のゴルフコースが存在し、人口10万人あたりのゴルフ場数では全国1位になっています。この立地的優位性を最大限に活かし、三和ゴルフ練習場は地域全体のゴルフ文化を支える存在になりたいと思っています。「ゴルフといえば栃木」と呼ばれるような環境作りを目指しており、地元の自然や歴史を活かしながら、地域社会に根付いたゴルフ文化を創造し、次世代へ繋げるよう持続できればと思っています。
欧米と比較すると、日本はここがダメとか色々ダメなところばかり比較されたりしますが、日本人ゆえの勤勉さ、真面目さ、というのは本当に誇りに思って良いと感じます。だからこそ、田舎にいる人は一旦都会へ出てみる。旅行ではなく仕事で海外も出てみる。できれば海外に住んでみる。自分でとにかく多くのことを経験してみることで、どんな地域でもそれぞれの特長やチャンスが転がっていてそれを狙ってビジネスに活かすということが可能になってくるのではないかと思っています。例えば田舎ですと都会よりも大きな売り上げは望めないかもしれませんが、衣食住の低コスト、競争が少ない事、自然なども多くあり、それを活かせることに気づけるかどうかが地域の活性化に繋がっていくのだろうと思います。
幼稚園で息子が作ってきた筆箱です。パパの似顔絵が書いてあって、「いつもありがとう」と書いてあるのですが、いつもほっこりさせられます。
私の中でルーツにもなっている故稲盛和夫氏のCD・DVDです。ビジネスをする上で、人生の中で、大切にしているお考えばかりです。