東北労災病院勤務後、渡米。シアトルのホスピスで学び、帰国。総合病院に勤務し、その傍ら、看護学校などの講師を務め、ソウルでの看護国際学会参加や神戸での国際助産師大会に通訳として参加。その後、州立ニューヨーク大学卒業。帰国後、短期大学看護学助教授を務めていたが、大病を患い退職。地元に帰省し、訪問看護ステーション設立に至る。主な出版物(共同翻訳;「看護の辞典」医学書院、ナーシングトゥデイ、看護管理、読売新聞など。近年は、Nursing BUSINESS 2022 vol.16 no.8 やMasters 2024.8 vol.42 No.514に掲載)
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大病後、地元に戻り養生しながら、老人福祉、障害福祉、医療的ケア児の仕事に携わったことは、地方の医療や福祉が抱える課題への気づきを得ることに繋がり、仲間との出会いもあり、これまでの経験を生かして地域に貢献したいと考え、訪問看護ステーションを立ち上げることになりました。
24時間体制の為、夜中や朝方など電話対応や訪問することもありますが、仕事というより、生活の一部というような感覚です。親戚の方が困っているなら行く、というような。普通の人として、たまたま看護師なのでその知識と技術を持ってサポートするというような感じです。困っている方、苦しい思いをしている方が、少しでも安楽で癒されるようにと。本人もご家族も、苦しい中でも少しでも笑みが現れるように、そう願って看護ケアを提供しています。ですので、自分の未熟さや無力さを自覚し、それに耐えることができる心も大切と感じています。
未熟でもいい、無力でもいい、どんなことにも今を大切に「今、私は何をすべきか。今、私にできることは何か」を自分に問いかけながら、問題解決のために突破していくということです。人生で最もカクゴしたと思うのは、会社設立です。
宮沢賢治の「雨にも負けず」の最後の下りで、「〜日照りのときは涙をながし、寒さの夏はオロオロ歩き、皆にデクノボーとよばれ、誉められもせず苦にもされず、そういう者に、私はなりたい」というような生き方をしている人です。農業だけではなく全分野で、です。
同じ思いを持った方々と医療や看護に携わりながら、まごころで癒しの看護やトータルケアを目指して、地域に信頼されるステーションにしていきたいと願います。0歳から100歳まで、障がいのある方、そして、過疎地や山間部の方へも訪問ができるよう仲間を増やしたいと思います。
何かをするときに、自分には難しいとか、環境が違いすぎるとか、自分自身のいろいろなつぶやきが出ると思いますが、その自分自身が最大の問題・課題ととらえて、「今、できること」からやって行く、その積み重ねをしていってほしいし、チャレンジして行ってほしいです。
高齢の母と妹が、母の高齢の兄弟を訪れた北海道でのお土産です。私は仕事柄、休めず一緒に行くことはできませんでしたが、100円均一の透明ペンケースにつけています。ペンを取り出す度、かわいらしくて癒されます。
お花屋さんで偶然出会ったカップです。可愛い猫さんの絵が描いてあり、プチ・ティータイムで癒されます。