覚悟の瞬間(とき)

ジャーナリスト 田原総一朗
たはらそういちろう

田原総一朗

滋賀県生まれB型
職業:ジャーナリスト
趣味:仕事
座右の銘:人生は好きなこと探しだ。

テレビ東京のディレクターや映画監督の経験を経て、ジャーナリスト、評論家、ニュースキャスターとして活躍中。98年、戦後の放送ジャーナリスト1人を選ぶ城戸又一賞を受賞。現在、早稲田大学特命教授として大学院で講義をするほか、「大隈塾」塾頭も務める。「朝まで生テレビ!」「激論!クロスファイア」の司会をはじめ、テレビ・ラジオの出演多数。

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来歴

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幼少期~学生時代

昭和9年、1934年4月15日に滋賀県の彦根市に近江商人の末裔として生まれました。4人兄弟の長男で、体が大変弱く病気ばかりで死にかけた事もあり、両親にはとても可愛がってもらいました。3歳の時、日中戦争が始まり、小学校に入った年に大東亜戦争が始まりました。戦時中は海軍兵学校進学を夢見ていました。私たちの将来は陸軍に入るか、海軍になるかの選択しかなかったのです。そして、日本が戦争に負けたのは私が小学校5年生の夏休みでした。1学期までは先生や校長、市長や偉い人たち、そして政府にマスコミは「この戦争は正しい戦争だ。欧米の侵略からアジアの国々を独立させるのが目的」と教え、私はそれを当然のように信じていました。しかし、2学期になったら「日本の侵略戦争です。関わったリーダーたちは悪い人たちなので死刑になって当然です」と言ったのです。こんなの、疑わざるを得なかった。偉い人が大きな声で言うことは信じちゃいけないと思った。それが私の原点です。それから私は、常識を全部疑い、あらゆる常識は怪しいと思っています。

現在の道へ進んだきっかけ

日本交通公社(現JTB)などで働きながら、早稲田大学文学部を7年かけて卒業しました。その後、岩波映画製作所、東京12チャンネル(現テレビ東京)を経てフリーになりました。最初は科学ジャーナリストとしてテレビに出て以降、色々と企画を出すようになりました。それで、いくつかレギュラー番組を持つようになり、「朝生」にも繋がり、企画が好きだと思いました。なので、今でも仕事の90%以上は自分で企画を出しており、自分のことはキャスターや司会者ではなく、ディレクターだと思っています。だから、討論のテーマや出演者などは当然私が決め、出演交渉も私も直接してきました。元々、テレビ東京時代にディレクターをやっていましたので、今も単にディレクターが表に出てきただけだと思っており、既存の局が絶対に作れない番組をやろうとしました。私は、他の誰も作れない「良い番組」を作りたいと常日頃から思っています。そこに別にイデオロギーはなく、社会正義を振りかざしたわけでもなく、ただやりたいことをやっただけで、何も狙ってません。ただ、敢えていうなら好奇心のなせる業です。

覚悟の瞬間

だいたい毎日「覚悟」の連続です。特に、「朝まで生テレビ!」は毎回覚悟しながら話してます。番組がスタートした際も「1年続けばいいかな」と思ってましたが、現状26年続いています。続けようと思っているのではなく、毎回覚悟しながらの日々を送っています。

今後の目標

小学校5年生の夏休みに実体験したことですが、「常識」ということを常に疑ってください。だいたいの常識は間違っていますので、今、この世の中の常識を疑うべきです。なので、今でも「常識」をいかに叩き潰すかを模索しています。

日本のアカルイ未来のために

ようやく若い世代が登場したと思います。1981年以上に生まれた「81世代」は物心ついた時から不況という環境で生まれ育っています。「これが当たり前」な環境と思い生活しているので、悲観論は一切言わず、この環境を如何に良くしていくか前向きな姿勢です。なので、この国の未来は明るいと思ってます。

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お気に入り

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ペン

メモをとることも多いので必需品です。特にこだわりはありませんが、安価ですし書きやすので重宝してます。