私のカクゴ

愛康堂 代表 冨田晋作
とみたしんさく

冨田晋作

大阪府生まれA型
職業:愛康堂 代表
趣味:洋服、あん摩、トレーニング
座右の銘:人事を尽くして天命を待つ

1974年、大阪府箕面市生まれ。2歳から23歳までの21年間を大阪市立盲学校(現:大阪府立北視覚特別支援学校)で過ごす。あん摩・はり・きゅうの国家資格取得後、筑波大学理療科教員養成施設に進学。卒業後、京都府立盲学校理療科にて21年間、教鞭をとる。2020年に株式会社愛康堂設立。空鍼癒院の院長として日々、施術にあたっている。

オフィシャルサイト

来歴

1 2 3 4 5 6

なぜ今の仕事に?

現状として、視覚障害者が希望通りの職に就き、モチベーションを維持したまま働き続けるためには、環境の整備や経済面、周囲の障がいに対する理解等、解決しなければならない課題がたくさんあります。ですが、「現状が厳しい→障害者が求める→健常者がそれに応える」といったこれまでのようなやり取りだけでは、視覚障害者の職域拡大にはつながっていかないと感じています。そこで私は、視覚障害者の方から社会にとっての有益さを示すことができる事業を具現化し、個人事業主ではなく「全盲の企業経営者」として、本事業を成功させたいと考えるようになりました。

現在の仕事への想い

ゆったりとした時間の流れと懐かしい穏やかさ、絶妙な距離感の近しい人間関係など、病院や医院では追求されない、どちらかというと今の時代敬遠されがちなスローであいまいなものを大切にしています。そのような環境で全人的医療を遂行できる場が、私がイメージする鍼灸院やマッサージ院の姿です。時間とノルマを重視せざるを得ない医師とはまた違う方法で、症状の軽減・除去だけでなく、その人の生きている実感を探す、人の優しさに触れ孤独を和らげるなど、命を色づける場、それが代替医療を担う我々の責務だと考えています。

あなたにとって覚悟とは

27歳で失明することを決めました。生まれた時から重度視覚障害者として生きてきた私ですが、そのあるかないかわからないくらいの視力によって、さまざまな苦しさを経験してきました。病気の目に対する世間の見る目、そのことに対する劣等感と恐怖、見えていないのに見えているふりをしてしまう自身に対するしんどさなどは、言葉では表せないものがあります。病気の進行によって視覚を手放した私ですが、今となってみれば、物事や人間の本質を見抜く力を手に入れたと感じます。そして、その目を使わない、冷静かつ的確に「みる」という力が、今の私の生きる力になっているのです。

カッコイイ大人とは?

今の日本には自己保身のために生きている大人が増えすぎたなと感じています。油断をすればいつでも、僕もそのような生き方になってしまいそうです。自分の人生の全てを投げ打って人のために生きろとは言いませんが、できる限り自身の言動が社会に与える影響を意識する、そして自分が何かのコミュニティの一員なのだという所属間をちゃんと感じて、「その小さなコミュニティのために→日本のために→地球のために」というように、自分たちが生きている社会や世界のことを自身のこととして考えられるような人でありたいと思っています。

今後の展望

現在、株式会社愛康堂は、一あん摩鍼灸院の運営しか行っていません。これではただ普通に個人事業主をしているのと変わりはないのです。でも、いつしか一治療院の経営だけではなく、全盲社長が経営する会社として、いくつかの事業に取り組んでいると言えるような会社組織にしていきたい。その事実をもって障害があっても、志と人を大切にする生き方をしていれば、たくさんの収入が得られる、社会のお荷物的存在というような、間違いではあるのですが、ふと脳裏をよぎるようなマイナスな発想を消して、社会のお役に立てる立場なんだ、という自信へと変容できるということを証明したいです。

若者へのメッセージ

最大の弱点は、考え方の方向を変えることで、最大の特権に変えることができます。人が発する言葉の本当の意味をとらえられるようになるためには、たくさんの人と会ってたくさんの喜怒哀楽を共感しあうことが大切です。時には苦しいときや気まずいときもあるでしょう。でも、心臓を握りつぶされているようなしんどさをちゃんと一つずつ受け止めて受け入れて過ごしていると、真実といえるようなことが見えてくるようになります。目の前に映る事象だけに興味を持つのではなく、本物の見る目を身に着けるための勇気と忍耐力を大切にして生きてほしいです。

おすすめ動画※この動画を見た人はこの人の動画も観ています

福島県 市長 / 全国市長会会長 立谷秀清

福島県 市長 / 全国市長会会長
立谷秀清

総合格闘家 所英男

総合格闘家
所英男

華道家 前野博紀

華道家
前野博紀

お気に入り

師匠からいただいた鍼

大阪市立盲学校理療科の卒業と、筑波大学理療科教員養成施設への合格祝いとしていただいた宝物です。私のこれまでの努力と、これからの新たな挑戦を応援してくれる大切な方々の想いが詰まった、一生の記念品です。

JAN JAN VAN ESSCHEのコート

フードをかぶって雨音を感じてほしいという彼の言葉に感動しました。視覚障害者向けではない一流デザイナーの服ですが、その粋なこだわりを知り、「私」のことを考えてくれたような深い嬉しさに包まれました。