私のカクゴ

セレクティホールディングス 代表取締役 太田裕
おおたゆたか

太田裕

千葉県生まれB型
職業:セレクティホールディングス 代表取締役
趣味:旅行、ショッピング、筋トレ、料理、競馬
座右の銘:先見之明

某大手人材サービス入社をして3年後の24歳で独立。平成22年7月に(株)セレクティ設立。その後、セレクティグループとして(株)スプリード、匠未パブリックワークス(株)、阿部藤建設(株)、(株)セレクティホールディングスを設立していく。

オフィシャルサイト

来歴

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なぜ今の仕事に?

十代の頃に地元でプールバーのカウンター業務をしていて、色々な業種の方との出会いがあり、それぞれの業界話を聞いて世界が広がっていたのですが、突然店が閉店してしまいました。ですが、それを機に上京を決めて、多くの人とかかわる仕事がしたいと思って、いきついたのが人材派遣会社でした。

現在の仕事への想い

仕事活動をする上でのこだわりは、今も昔も変わらない事があって、今でも何か新しい事に挑戦する時に思いだす、学生時代の同級生に言われた言葉があって、「出来るようになるまでやるんだよ」という一言が、今の自分自身を作ったと思います。なので、何かに挑戦する時は、中途半端にせず、自分自身が出来るようになったと納得がいくまで必ず練習してから挑むようにしてます。仕事上での信念は己を知るという事、それは自分自身が周りからどんな風にみられているか、その上でどういう行動を取るべきか、この評価分析がしっかり出来ていればどんな場面でも必ず上手くいくと信じて活動をしています。簡単なようで中々難しいですが、常に意識をして日々活動してますね。また、セレクティグループに入社する事で、何かやりたい事が見つかる。そんなグループ経営をしていく事で、皆がまた明日も会社に来たくなるような組織が出来上がると素敵だと思います。

あなたにとって覚悟とは

私にとっての覚悟は、会社の設立がまだまもない時に離婚をして、7歳と3歳の子供2人を引き取る決断をした時ですかね。この年代の子供達が母親を失うダメージを補いながら、子育てをしていかなければならなかったのと、一方で自身の目標を叶える為に立ち上げして間もない会社を動かして行く上で、これまでできていた、長時間勤務や交流会も参加も出来なくなりますし、果たして両立が出来るかどうか。最も覚悟を決めた決断でしたね。でもそのおかげで忍耐強くもなったし、社員教育も気持ちに余裕を持って指導できるようなりました。極め付けは主婦が抱えてるストレスとかもよく分かっているので、これからの女性が活躍する社会作りに、自分の会社を通して、経営者の立場から、産休明けのワーキングママが働きやすい環境を作って貢献出来る事が、大きな財産になったなと思いました。

カッコイイ大人とは?

孫正義さんですね。生涯の安定環境があっても常に挑戦をやめない人です。これまで積み上げてきた物があって、ようやく借金も返したのに、またこれまで以上の借金を作って勝負を挑み続けられる人は夢に向かって生きてる象徴みたいなもので、カッコいいなと思います。

今後の展望

先々の夢を叶える為にまずは、セレクティグループの目標である雇用の途切れない環境作りをする事、それには全国展開、47都道府県に支店または営業所の設置、あらゆる教育機関の確立、生涯収入の設計システムの構築。派遣事業という業種からITや機械、電子、建設、介護福祉等あらゆる業種で受託や自社開発、法人化を進めて、派遣事業だけでは無く、それぞれの業種毎に法人化をして、ブランド力を磨いてグループ連携を計っていく事が、雇用の途切れない環境作りに向けての歩みだと考えております。これには決められた順番はなくて、特に経営に対しての大きな焦りもないのです。会社は人の夢の数や大きさで規模が決まって来ると思っています。まずは私の大きな夢から今の役員や社員の夢、そして沢山の雇用を生み出す事で、それらが無数に広がっていけば、きっと楽しくも素敵な組織が出来上がると信じています。

若者へのメッセージ

日本の経済はまだまだ成長できると感じてます。それはみんな一人一人がもう少し、「やりたい事とやれる事」を見つけて挑戦してみることが、今の自分にとってもそうだし周りにとっても、これからの皆の明るいミライへの近道なのかなと思います。

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20歳の時に購入した印鑑「実印」で、この印鑑と共に出世してきました。