1995年日本大学医学部卒業。整形外科医師となる。2000年同大学整形外科教室の助手となり数多くの手術をてがけている最中。2003年NYの権威Dr.Triaに最少侵襲手術Minimam Invasive Surgeryを師事する。スポーツのできる人工関節手術ならびに若者から高齢者まで一貫した医療を提供する病院を作る理念のもと2010年苑田会人工関節センター病院を開設し、数多くのスポーツ選手ならびに骨関節疾患の最先端医療を提供している。年間1500件の手術を行っている。国内外の多くの学会に所属し米国における開発のメンバーにも選出されている。2010BestDoctorに選出されれいる。
1 | 2 | 3 | 4 | 5 |
いたずらばかりして両親には迷惑ばかりかけていました。好奇心が止められない性格で、数多くのエピソードがあります。「カエルを洗濯機に入れたら目が回るのか?」「レストランでテーブルクロスを引いたらお皿はどうなるのだろう?」「シャワーを浴びているおじいちゃんの背中におしっこをかけたら気づくのであろうか?」などなど多くを実践してまいりました。物心がつくのが遅く、今考えると小中学校の生活は霧の中でした。中学高校は不良と書いて「悪」であり、やんちゃばかりしておりました。大学は医学部に入学した後も世の中はバブルまっただ中で、青年実業家に憧れ1年を棒に振りました。しかし20歳を転機に天命と感じ、医療への道を突き進むこととなりました。
医者の家系に育ち、医師になるのは当たり前に育てられたため、残念ながら医療に対するこころざしも美談もなく医学部に入学しました。しかし青年実業家に憧れ活動をしていた自分を振り返るとやはり「医者になるのが天命だ」と感じました。医師国家試験に合格の際は脳神経外科医に憧れておりましたが、整形外科のバイオメカニズムに興味が湧き、大学の整形外科学教室に入局しました。数多くの専門分野において関節外科を専攻するきかっけとなったのは「くじ引きで偶然選ばれたから」です。しかし関節外科は非常に多くの患者様を幸せにすることができることを実感できる分野であり、やりがいを持っています。
大学の医局に在学中にMIS手術に出会いました。手術手技だけでなく、麻酔、看護、リハビリテーションとすべてのトータルマネージメントが必要と考えました。従来から欧米での病院はセンター化しており日本でもこのような病院を作りたいという願望が湧きました。そして志を持った医師やコメディカルが集う臨床、教育、研究機関を整形外科の専門病院で作りました。2010年大学病院を辞めるのは苦渋の決断でした。「日本で初めての人工関節センター病院が若い私に運営できるのか?」「ましてや経営的に成功するのか?」眠れない毎日が続きました。しかし10年来主治医を務めた元大関栃東が同時期に地元に相撲部屋を開き、ともに心機一転がんばる元気をもらいました。また、K-1で活躍した武田幸三、三崎和雄の主治医もしておりましたが、彼らは試合の前に遺書を書き仏壇に線香をあげ、部屋をもう戻ってこれなくても恥じぬように掃除をして試合に臨んでおりました。患者様からも力をいただいております。
現在の人工関節は激しいスポーツや正坐ができませんし、その機械の対応年数から若年者が病気を患っても手術ができません。そこで、私はスポーツのできる人工関節の開発を現在米国にて行っております。約2年後には完成を予定しておりますので完成を待ちどおしくしております。そして世界同時プロジェクトなので成功させたいです。またアジア全体のイニシアチブを日本が取るべく中国、インド、マレーシア、シンガーポールの若手医師との交流ならびにメディカルツーリズムのスリム化を行ってゆきたい。また日本の医療が疲弊しないためには医療経済の衰退が起こらぬようにより良質な医療を提供し患者様に喜んでいただきたいです。「医療をあきらめない」是非、患者様にも医療の進化をメディアを通じて解って頂きたいです。
「医療をあきらめない」これは、医療従事者に対しても声を大にして言いたいです。医療の現場は決して華やかでもきれいでもありません心の休まるときもありません。患者様の命を預かるわけですからきれいごとでは成り立たないのです。しかし、やりがいという面ではこれに勝る職種は無いと断言できます。「医者がもうけて何が悪い。」いいんです。がんばったらがんばっただけの評価を与えられてしかるべきです。「プロとは何か?」仕事でお金をもらうからプロなのです。お金をもらわないのは趣味なのです。カンジーですらダライラマですらローマ法王でもお金持ちです。お金がないと周りの人を幸せにするのは無理です。次の世代へ理念や夢を伝えられません。お金のために仕事をするのは大した仕事ではないのです。誰よりも働き、誰よりも必要とされ、誰よりも人を幸せにする人は必然的にお金が湧いてくるのです。私は最先端医療をひっぱっているという自負はございますが、しかし若輩杉本がやっているのは、医療の歴史の一滴(ひとしずく)でしかありません。しかしその伝統を守るためには進化のリレーを引き継いでゆくしかないのです。この世に人間が生存する限り医療は無くなりません。是非、幸せな未来を作り続けてください。
祖父の愛用していたコートです。祖父は医師としても人としても尊敬する人です。大学の卒業国家試験が受かったときに譲り受けました。今でも大切に愛用しています。
手術に利用する、サージカルヘルメットというバイオクリーンを保つヘルメットとガウンです。細菌感染を術者ならびに患者様から守ります。おかげさまで当院は過去4000以上の手術において院内感染ゼロを誇っております。