私のカクゴ

服部胃腸科 理事長 櫻井宏一
さくらいこういち

櫻井宏一

熊本県生まれO型
職業:服部胃腸科 理事長
趣味:野球、スポーツ観戦
座右の銘:継続は力なり

平成3年3月久留米大学医学部卒業後熊本大学医学部附属病院第3内科入局。平成7年4月より昭和大学藤が丘病院消化器内科に勤務。平成16年熊本大学大学院医学薬学研究部消化器内科助手、平成24年10月熊本大学大学院医学薬学研究部消化器内科講師、光学医療診療部副部長兼務。平成25年4月より服部胃腸科院長に赴任、平成26年4月より服部胃腸科理事長・院長、現在に至る。役職は日本消化器内視鏡学会九州支部幹事、日本大腸検査学会九州支部支部長・評議員、日本消化器内視鏡学会社団評議員、日本消化器病学会九州支部評議員、熊本医師会胃部健診読影班委員。

オフィシャルサイト

来歴

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なぜ今の仕事に?

幼少期に父親(薬品関係の経営者)に歯科医師になれと言われ続けていた。なぜ父親が歯科医師にこだわっていたかはわからなかったのですが、中学生の時、僕は医師を目指すと伝えました。その当時白い巨塔をみて、自分の手で人命を助けることができるすばらしさにあこがれがあったのだと思います。

現在の仕事への想い

患者様の心に寄り添える医師でありたい。病院には皆さん不安な気持ちで来られる方ばかりなので、実際に自分が病気になったとき、治療される側になったときの気持ちで来院される患者様に接しています。私自身、15年前に不整脈と診断を受け、入院治療を受けた際、改めて患者様の気持ちが分かるようになりました。近年、内視鏡分野の医療機器の技術の進歩は目覚ましく、我々は常に最新の医療(内視鏡)の技術、知識を習得して患者様に提供できるようにしなければなりません。そのためには学会活動、講演会などで最新の医療情報を自ら学び、患者様に役立てたいです。

あなたにとって覚悟とは

大学病院を退職し、服部胃腸科に勤務すると決めた時です。昭和大学藤が丘病院で4年間研修期間を経た後、消化管専門医師として熊本大学に戻ってきましたが、その当時私の所属する内科には消化管患者様がほとんどおらず、症例数が無く研修が積めない為、消化管専門医師も若い医師1人しかいない状況でした。まず患者様、それから大学病院で働く若い医師をいかに増やしていくかが大きな課題でした。この課題を乗り越えるにはかなり苦労しましたが、徐々に患者様が増え始め、それにより意欲のある若手医師も多くなり消化管グループとして機能できるようになりました。月日を経て私は消化管グループの責任ある立場として診療、指導を行うようになっていましたが、気付けば私も45歳になっており今後の人生をどうしたいのかと考えるようになりました。自分が医師として本当にやりたかったこと=「地域医療に携わること」をやってみようという思いに変わりました。

カッコイイ大人とは?

新しいことに興味を持ち、挑戦し続ける人です。興味を持って挑戦する人にはエネルギーがあり、人を惹きつける力があると思います。自分が挑戦することが周りのスタッフへ良い影響を与えていけるのではないかと考えています。内視鏡技術、診断力、判断力を常にレベルアップしていきたいですね。

今後の展望

診療と研究を両立してやり続けたいです。「臨床研究は大学や公的病院などで行うもの、クリニックはそんな事をしている余裕はない」と考える方もいます。しかし研究はとても面白いです。同じ病気でも個人によりかなり病態に違いがあり、医学書通りにいかないことが多々あります。テーマを1つ決め、何故こうなるのだろう?この薬の有効性はどれくらい?など、まだ知られていないことを研究し、そしてその結果を論文として発信していきたいです。また住民検診の拡大、特に熊本市においては70歳以上の方は無料で検診を受けることができるので、更に内視鏡検査の需要は増えていくと思われます。内視鏡検診を当院で初めて受ける方の不安をなくし、疾患やがんの早期発見、早期治療に努めていきたいです。

若者へのメッセージ

医師になってからの私の人生は、寄り道だらけの人生でした。思いがけないことやうまくいかないことばかりでしたが、その時の辛かった経験が今の私を支えてくれています。今は無駄に感じることも将来の自分にとって役立つときがくるので、あまり焦らずにいてください。

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お気に入り

腕時計

父親から贈られた物です。勤務中は身に着けませんが、講演会、研究会などで発表する時に身につけています。

眼鏡

普段はコンタクトですが大学時代から数年前まで使っていた眼鏡です。ぼろぼろになり、レンズがよくフレームから飛び出していましたが、25年間程使用しており思い出の詰まった眼鏡。捨てられません。