
1988年東京都立戸山高等学校卒業。1992年東京大学薬学部卒業。1994年東京大学大学院薬学系研究科修士課程修了。2001年慶應義塾大学医学部卒業、東京大学医科学研究所附属病院内科。2003年労働者健康福祉機構関東労災病院内科。2005年理化学研究所横浜研究所免疫・アレルギー科学総合研究センター樹状細胞機能研究チーム。2009年東京大学大学院医学系研究科博士課程修了、法務省矯正局東京矯正管区内科矯正医官。2015年セレンクリニック東京副院長。2017年南郷えーる内科クリニック院長。2018年銘煌CITクリニック院長。樹状細胞ワクチン療法による癌の治療に一貫して取り組んでいる。
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最初は東大薬学部に進みましたが、一人で黙々と研究を続けるうちに、もっと人と関わって直接誰かの役に立つ仕事がしたいと思うようになり、慶應大医学部に入学し直しました。そして、2000年代に樹状細胞による癌治療の臨床試験を行っていた、東大医科研病院の山下直秀教授(現:東大名誉教授)の先端診療部の門下に入りました。その後、理研横浜研の樹状細胞機能研究チームの佐藤克明先生(現:宮崎大医学部教授)の下で、樹状細胞の研究を行いました。理研ではマウスで研究していましたが、同様の方法で樹状細胞を癌の患者様に投与すると、実際に病巣が縮小する効果を多数目の当たりにし、それが免疫細胞療法をライフワークとする強い決意のきっかけとなりました。
東大医科研病院で研修医をしていた時から、白血病で20代などで亡くなってしまう患者様を看取ったりして大変悔しい思いをしてきました。現在も、細胞免疫療法で奇跡的に長期生存を達成される患者様もおられる一方で、自分よりも若くして亡くなってしまわれる癌の患者様もおられ大変辛く感じます。どうしても生きたいと願っている、どうしても助けなければならない患者様に、現在における最新の治療をご提供し、最後まで絶対に諦めずにご一緒に戦うことを信条にしています。看護師さんも患者様と心を一つにして、どんなにお辛い状況でもお支えすることに献身的に取り組んでくれていますので、患者様からは、クリニックに来るのが楽しみだと言っていただいています。
自分は家系に医者もおらず、一文無しからクリニックを立ち上げたので、これまでの歩みも壮絶なものとなりました。立ち上げ時のスタッフに恩返しをしたかったのに、お給料が払えなくなり解雇せざるを得なくなってしまったことは、忘れられない最も辛い思い出となりました。その後、新型コロナでクリニックの経営も致命的な打撃を受け、自分は家庭も含めて大切なもの全てを失いました。何のためにクリニックを設立したのかすら分からなくなってしまったのです。しかし自分は必ず、患者様の癌を治す治療を開発し、スタッフが報われるように努力し、皆がクリニックで幸せになれることを実現する、そのために不屈の精神を以てクリニックを続けてゆく覚悟をしました。
国のために自らの命を懸けて仕事をしている人のことを尊敬します。世界史上では孫文、ガンジー、現代においては安倍晋三元首相、トランプ大統領、高市早苗首相です。自分も少しでも国のために役に立てるよう努力を続けていきたいと思います。
師匠である山下直秀東大名誉教授のご指導の下で、バイオメディカ・ソリューション社の中尾敦社長のご支援を受け、遺伝子解析を駆使した「ネオアンチゲン樹状細胞ワクチン療法」の開発に現在も全力で取り組んでいます。これは患者様だけに独自の癌の遺伝子異常を見つけ出して免疫細胞の攻撃目標とする、究極のオーダーメイド治療です。しかし、癌は次々に遺伝子変異を起こして変貌を遂げ、免疫細胞の攻撃をかいくぐっていくので、癌を撲滅するのは本当に難しいことも分かってきました。それでも困難なこの病気に立ち向かい、難題を一つずつ根気よく解決していき、最後には癌を完治できる細胞免疫療法を完成させ、癌の患者様をお助けすることが自分の夢です。
日本は免疫学の分野で著明な研究者を輩出しており、「免疫学は日本のお家芸」とも言われています。これまでは抗癌剤など体に負担のかかる治療法しか選択肢がありませんでしたが、今後は癌の治療の世界において、これまでの常識が覆る、コペルニクス的転回が起こると予想されており、ノーベル賞を受賞された本庶佑先生も、癌の治療は免疫療法が標準となる時代が到来するとおっしゃっています。若い皆様には是非、癌の免疫治療の分野に携わっていただき、日本で癌を完治させる免疫療法を開発して、世界をビートするような仕事を一緒にやりませんか。志ある仲間をお待ちしています。

2018年の開院当時から7年間使っています。何度も壊れかけましたが自分で分解してメモリとSSDを造設しディスプレイも追加して復活させました。クリニックの全業務をこれでやっており、正に一心同体の相棒です。

カラスに殺されかけたムクドリの雛を助けたら、左翼を食いちぎられて一生飛べなくなり傷病鳥獣として飼っていました。愛情一杯で本当に可愛かったです。クリニックのマークはヒーヒーを元に自分がデザインしました。