
北海道釧路西高等学校卒業(2009年閉校)。建築板金の工務店にて板金屋根の施工に携わる。20歳を機に単身で愛知県に拠点を移し土木工事に従事。その後、メンテナンス等建築関連の仕事をしつつ、夜は飲食店・物販・水商売等を掛け持ちで数年を過ごした後、脱サラし色々な事にトライ&エラーを繰り返す。最終的に一人親方として建築や内装工事を経験し、約10年弱かかり現在の株式会社サンキン企画となる。
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これまで様々な仕事に携わってきましたが、脱サラを決意するきっかけになったのは全くの異業種での経験でした。出会いと別れ、失敗を繰り返し、日々の生活もままならず、明日をどう生きればいいのか分からなくなっていた時期もありました。そんな時、「一緒にご飯食べよう!おなかすいたらこれ食べてね」と差し入れをしてくれる先輩と再会した事が、分岐点となったと思います。もともと関わってきた仕事の多くが建設業だったこともあり、その先輩の知人の紹介で建設業のアルバイトから再スタート。生活の基盤を整えたのち、一人親方として開業登録を行い、約10年かけて法人化、今に至ります。
大半の人はもし仕事をせずに生活できるなら、仕事はしないと思います。しかし、それができないからこそ仕事をし「仕事をするなら少しでも良い会社で」と考えるでしょう。ただ、それが全てだと思ってしまうと、ただただ苦痛を感じる日々を過ごすことになります。私は、仕事を楽しむ事にこだわりをもっています。ある一定の条件下で結果を出すことがノルマ、それは業務における最低条件だと思います。その上で、よりクオリティーの高い結果を出すことを楽しむ、そしてお客様に喜んでもらうことを楽しむ、そこに私は価値を置いています。これが私のこだわりです。
何かを実行するためのアイテムだと思います。何かをしようと思った時、一歩を踏み出すために必要なのは覚悟です。私の人生はこれまで紆余曲折がありました。脱サラし失敗を繰り返している時、明日が来ることさえネガティブにとらえてしまう時期もありました。そんな中、私に救いの手を差し伸べてくれた先輩がいました。「ごはん食べに行こう!」といつも誘ってくれ、ごちそうしてくれました。しかも、今の仕事につながる人つなぎまでしてくださりました。それが建築のアルバイトでした。過去にも建設業に携わることが多く、意外と自然に仕事になじめたこともあり、そこで生きる「覚悟」を決め一人親方として開業登録し、現在に至ります。
私が思うカッコイイ大人とは、愚直に自分を表現できる人です。何かを着飾ってないといけない生き方はかっこ悪いと思います。芸能人でいうと「所ジョージさん」です。芸能活動の傍ら、世田谷ベースで趣味を謳歌しています。当然のことながら、時間とお金が必要ですが、それをできるのがカッコイイ大人だとおもっています。そのカッコイイ大人になるべく、自分も趣味に時間とお金を費やす訓練をしています。
現在の建築の仕事を通して、私が一番気になっているのは、建設業界では当たり前と思われている「若手が飛ぶ」ことです。調整業務の難しさや人間関係のストレスで心が折れてしまう人も少なくありません。それが建設業界の監理者不足の原因になっています。監理者の少ない現場は現場全体にも影響が出てしまいます。そんな現状を打開すべく、心が折れそうな人を元気にしたいと考えています。その想いから、以前より手掛けたいと思っていた新人教育機関をたちあげます。社会全体の新人たちに人間関係の大切さや厳しさを伝えながら、現代のハラスメントなどに影響されない外注教育を実現したいのです。
我々の親の世代から現代にかけて、ずいぶんと便利な世の中になったと思います。便利になったが故に生きづらい部分も多くなったと思いますが、その世の中を変えたいと願う人が現れ、それに続けとばかりに若者も立ち上がる人が増えています。世の中捨てたもんじゃない!今も昔も変わらず多くのビジネスチャンスが転がっています。そのチャンスを探して掴んで次につなげる。会社に所属する、独立する、どちらも尊い事です。正解不正解は人の数だけ存在するので、自分が正しいと思う選択をしてください。

祖母の形見です。祖母は4歳で目に麻疹ができ失明しました。その後自宅の事故で眼球を失い、全盲にも関わらず、8人の子供を産み育て、103歳で永眠しました。強く生きた祖母の姿を思い出させてくれる指輪です。

まだ健在ではありますが、故郷の北海道に住んでいる母から「離れていると何があるかわからないから先に形見として渡しておくね」と預かった指輪です。