前橋工科大学工学部建築学科卒業。建築設計事務所を2年間、外構施工会社を1年間、工務店を3年間という経験を経て独立。現在は、木造住宅、木造アパートの設計施工、店舗、リノベーション事業で業績を伸ばしている。
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小学校時代に行った実家の増築工事の過程を見て、建築に興味をもって建築を学ぼうと思いました。小学校時代に、実家の増築工事の過程として両親と設計士さんがおこなう設計打ち合わせや、施工現場を間近で見る事で、建築物ができあがっていく楽しさを感じて、建築の世界へ飛び込みました。大学で建築を学んだあと、設計事務所で設計、外構施工会社、工務店で施工を学び独立し今の仕事についています。
「社会貢献になるか否か」仕事をする上で、「誰かのためになる」、「誰かの喜びになる」につながるかどうかを重要視しています。そしてその仕事でどう利益につなげられるかを考えています。独立して間もないころ、広島で豪雨災害が発生しました。私は、建築従事者として建築相談員や、現場ボランティアに参加していましたが、その間の収入はなくなり、被災者のためにできる事をしたいが、継続できませんでした。ですので、社会貢献をしながら利益が出せる仕事なら「誰かのためになる」、「誰かの喜びになる」を継続していくことができると考えたので、仕事は「社会貢献になるか否か」を考え、利益を出す方法を考えています。
独立しようと思ってなかった私にとっては「独立」が一番の覚悟でした。もともとは、子供が生まれても、子供を保育園に預けて会社員のまま共働きをするつもりでいました。しかし、生まれてすぐの検査で、子供が難聴ということが分かり、療育に通いだしました。療育の先生からは「難聴児は保育園にあずけると言葉を覚えないよ」と言われ、共働きを断念したのですが、会社員時代の私一人の給与では生活できなかったので、妻は仕事復帰し、私が昼間は子供と過ごし、夜に設計の仕事をするという形で、夫婦共働きの生活を始めました。もちろん準備してきた独立ではなかったので、はじめは収入も少なかったが、次第にお仕事をいただく事が増えてきたので、妻が子供を昼間にみるために仕事はやめる事を決めました。「これから私一人の稼ぎで生活しなければいけない」という決心をした時が一番の覚悟でした。
「余裕のある人」、「寛大な人」です。今の自分に足りてないなと思う事ができている人をみると、大人だなと思います。自分は普段からバタバタして余裕がないので、そう感じるのではないかと思っています。自分に余裕ができるようになって、また別のカッコいい大人像が見えてくるようになれば良いなと思います。
子供の障害の事も影響があるかもしれませんが、障害をもった人でも隔てなく働ける会社が増えて、いつしか健常も障害も隔たり無く生活できる社会にしていけたらと思います。一口に障害といっても、精神的なものもあったり、身体的なものもあるし、度合いも様々です。また、一番大変だと思ってるのは、ほんとは障害だけど、検査せず認定されていないから健常扱いされて逆に仕事についていけず、苦しむという事も多々あると思ってます。ですので、私は建築の仕事だけではなく、いろんな人が働ける環境として、他業種の仕事もしてみたいと思っています。例えば、建築は「衣食住」の「住」なので、「衣」とか「食」とかの仕事ができれば、この仕事は難しかったけど、こっちの仕事してみようかな?とかのある種のグループ内転職で雇用を守っていけるのではないかなと思っているのでやってみたいと思っています。
自分も苦しいときに、まわりから助けられて今があります。自分ひとりでは乗り越えられないことも、助け合いながら乗り越えていけます。自分も大事ですけど、他人を大事にすれば、自分の事は他人が大事にしてくれます。「One for all All for one」
仕事道具のアイパッドミニと財布、ケータイがすっぽり入るちょうどよいサイズです。大きすぎず小さすぎないのがお気に入りです。
仕事打ち合わせ、スケジュール管理、メール、SNS、なんでもこちらでこなせます。特に書き心地の良いアップルペンシルがお気に入りです。