1996年福岡大学医学部医学科卒業。臨床研修。外科臨床を行ううちに癌の転移のメカニズムに興味をもち、2004年福岡大学大学院 医学研究科へすすみ、医学博士を取得。その後、テキサス大学MDアンダーソン癌センター(MDACC)で博士研究員として、研究に従事。帰国後、大学病院で膵臓がんの診断、手術、化学療法を担当。2020年医療法人桜野診療所開業。
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 |
身内(祖母、祖父)が胃がんに罹患し、手術を受けた。その後、転移再発で亡くなりました。そのことをきっかけに、医師を目指しました。外科医になり、手術修練を積み、外科臨床を積み重ねますが、手術を行っても転移、再発で失う患者が多いことを経験しました。特に膵臓癌の予後が不良であること、診断時に手術不良の進行がんが多いことを経験しました。がんの転移のメカニズムに興味を持ち、大学院で研究したのち、米国MDアンダーソンがんセンターへ留学。がんの転移のメカニズム、分子標的薬の研究開発に従事。その後、大学病院で膵臓がんの診断、手術、化学療法、緩和ケアを担当しました。診断から治療、緩和ケアまで責任を持って診るかかりつけ医を目指し2020年開業しました。
地域で求められているかかりつけ医とは何か。医療の進歩に伴い先進的な治療が行えるようになった一方、専門性が細分化されました。症状によって一つの疾患でも患者さんは多くの科を経ることになります。身近な疾患では、地域の患者さんはどこをかかりつけ医にしていいかわからない。そのため、大きな基幹病院の外来が溢れています。我々は、地域の皆さま「みんな」が健康に関することが何でも相談ができ、必要な時は適切な検査や治療が提供できる、身近にいて「みんなの」頼りになる地域医療、福祉を担う総合的なクリニックを目指しています。地域の皆さま「みんな」によりそい、日常生活における健康管理、病気の早期発見や早期治療、精度の高い画像診断、在宅療養が必要な方のための訪問診療を姉妹クリニックや介護、福祉、高次病院と連携と取り、責任を持って診れる「みんなのかかりつけ医」になりたいと思っています。そのため「みんなのクリニック」を開院しました。
開業を決意して、医療機関を継承した時です。勤務医として外科医をしていましたが、疾患を治すのも大切でしたが、その背景にある不安に寄り添い患者の人生の大切な瞬間(時)を総合的に担当できるようになりました。
芯がぶれずほほえみ、包容力があり、好奇心を持ち、絶えず進んでいる人がかっこいい大人だと思います。患者さんを診るにはトータルで責任をもって診なくてはいけません。真のかかりつけ医になるために、地域の方に頼られるクリニックを作っていきたいです。それが一つの私の芯になります。
「みんなのクリニック」は地域の「みんな」の頼りになる責任を持てる総合的なクリニックを目指しています。さらに一緒に働いている職員の「みんな」がキャリアを継続できる職場を作っていきたいです。特に女性がライフスタイルが変化する中、柔軟に働ける環境を前例や慣習にとらわれず作っていきたいです。
他人に左右されるな。自分は誰だ。芯をしっかり持ってぶれるな。そこがわかれば、何をしないといけないかわかります。社会が何をしてくれるかを求めるのではなく、自分が社会、世の中に対して何ができるかを考えてほしいです。
「我が校の門をくぐりたるものは、政治家になるもよし、宗教家になるもよし、実業家になるもよし、教育家になるもよし、文学家になるもよし、且つ少々角あるも可、気骨あるも可。ただかの優柔不断にして安逸を貪り、苟も姑息の計を為すが如き軟骨漢には決してならぬこと、これ予の切に望み、ひとえに希うところである」
学問好きの娘は家門の恥という風潮の根強かった明治初期、遠くけわしい医学の道を志す一人の女性がいました。日本最初の女医、荻野吟子。夫からうつされた業病を異性に診察される屈辱に耐えかねた彼女は、同じ苦しみにあえぐ女性を救うべく、さまざまな偏見と障害を乗りこえて医師の資格を得、社会運動にも参画しました。血と汗にまみれ、必死に生きるその波瀾の生涯を克明に追う長編です。